こう見えても、私だって英語力をつけたいと努力していたことはある。
今の夫と結婚したとき、英語が通じなくてどれだけ毎日がおもしろいことになっていたか、今では笑い話である。
クリームシチューを作ると言ったら、「ブレッドロール」があるといいね、という。
私が小さい丸いパンを買ってくると、「これブレッドロールにできる?」という。
夫が言ったのは、パンに穴をあけてそこにシチューを詰める、ということで
ブレッドロールではなく、ホールのあるブレッドということだった。
こんなのがほぼ毎日。
英語を勉強したのは高校3年まで。
それから再婚するまでの24年間、まさか外人と結婚して外国に住むなど夢にも思わなかったから、
1度たりとも英語を再勉強したことはなかった。
相手が夫だけなら笑って済ませられることも、夫の家族や友人となるとそうもいかない。
そこで私はさまざまな英語を勉強する本を買い、最初は意欲に燃え、
すぐに飽きてほかの本を買い、ということを繰り返し、英語本ジプシーとなったのである。
そんな私が出会った本の中で、すごくお勧めの本がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/01/156776c12b617af4ec46c066065eeb51.jpg)
いわゆる普通の英文法の本とは違う。
丸暗記も構文もいらない。なぜそれはそうなるのかを、くだけた感じで説明していて
英語には未来形などは存在しないんだよとまで言う。
受験勉強には向かないかもしれないが、「話したい人」にはわかりやすい。
ハワイに住み始めて、「話さねばならなく」なった私の救世主。
昨日、私の本棚を整理していたら、奥からこれが出てきた。
生活の中で英語を使い始めたら、文法なんかどこかに行ってしまう。
文法を考えていたら私は話せなくなる。
誰かがしゃべっているのを真似て話していることも多いし、英文を作る前に話すので、
配置が変な英語になったりもする。
それでもなんとか、英語だらけの生活を9年続けてこれた。
私の英語は、変かもしれないけどなんとか通じる英語なのだと思う。
久々にこれらの本を読みなおしたら、ああそうだった!ということがたくさんある。
たとえば、Canは潜在的な能力の意味で使う。
潜在的能力とは、やろうと思えばできる、という意味であり
「私はこれができる」にはCanだけれど、
「その飛行機は深い霧の中でようやく着陸できた」にはBe able toでないとおかしい。
その話を夫にしたら
「そうそう、そうだよね。深く考えたらまったくそれが正しいよ。僕はCanって使うけど」
そうなのだ。
夫だけじゃない、ほとんどの人がそうだろう。
私も、なんでもかんでもCanだ。
いつだったか、関係代名詞のWhoとかWhomとかWhichについて質問したときも
「そんなの、みーんなThatでいいんだよ。てかThatもいらないよ、もう」
かくして私は文法から自由になり、通じてしまうがゆえに、英語本とも疎遠になってしまったのだ。(という言い訳)
ただ、単語だけは数多く知っているに越したことはない、これは言える。
実際のところ、「おや?」という英語を話している人は意外と多い。
ハワイは雑多な人種が集まっているのでなおさらだ。
映画を観ていても、「She don't like that」とか平気で言う。三人称ならDoseだろう。
単語の本も出てきた。
毎日時間はたっぷりあることだし、
この機会に英語をブラッシュアップするか、などと殊勝にも思っているが
いつまで続くか怪しいものである。
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