太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

同志

2021-11-08 15:14:39 | 日記
藤沢周平氏のエッセイの中に、「日程表」と題名をつけられた文がある。
私はこれを読みながら、
「同志、ここに見つけたり!!!」
と快哉をあげたくなった。

会社勤めをやめて作家に専念するようになってから、もともとの怠け者が表面に出てきた、と書いている。

朝はともかく7時に起きている。というと、はじめての編集者などはびっくりする。しかし、じつはこれが怠惰な1日の幕開けなので、朝起きたときに、私はもう昼寝のことを考えているのである。

朝起きて、仕事がつまっていなければ散歩に出かけて、コーヒーを飲んだり本屋を見たりし、
仕事がつまっているときは、散歩をやめて机に向かうが、何もしないうちに昼になる。
どうせ書かないなら、机に向かうこともないようなものだが、外をぶらつくのは申し訳ないような気がする。
誰に対して申し訳ないかといえば

・仕事をくれる出版社
・締め切りが迫っているのに小説はまだ3分の1もすすんでいないとは夢にも思わないだろう編集者
・二階にいるからには仕事をしていると信じて疑わない妻
・仕事の遅れを気にしている自分自身

そして、あるときそういう自分に嫌気がさして、仕事の日程表を作ることにしたのだという。

たとえば50枚の小説を書くとする。私は初日の予定に5枚と書く。
二日目は15枚と書き、三日半から四日で書き上がるような配分にする。
だが1日目には私は今日はたったの5枚だと思う。
あわてることはないと思っていると、いつのまにかお昼になる。
(中略)
このあたりで私は、たった5枚なら明日のノルマにくっつけてもどうということはないな、と思い始めている。



これは私ではないか。
夏休みの宿題の予定表。それは立派な予定表ができる。
それによれば、8月になるまでにドリルの半分以上は終わっており、8月半ばにはおおかたの宿題は終わって、ゆうゆうとしていることになっている。
しかし、毎年8月29日あたりに、半べそでほぼ手つかずの宿題をやり、
宿題を家に忘れた、と言えば1日は稼げるな、などと思っている。
まさに、

たった2ページなら明日のノルマにくっつけてもどうということはないな、

という甘い考えの結果である。
これはもうバカというよりすごいとしか思えないのだが、最後まで性懲りもなく日程表を作り続け、性懲りもなく怠け続けた。


姉妹を含めて私の周囲に、こんな怠惰な人はおらず、私は世にもまれな怠け者なんだろうと思っていた。
そこへきて、藤沢周平氏のこのエッセイ。
藤沢、と打てば周平と出てくるほどの大作家と自分を同じにするのはおこがましいが、
それほどの大作家であるのに、私に匹敵するほどの怠け者だということが嬉しくなった。

夏休みの宿題からは解放されたけれど、今は、作品創作の上で似たようなことをしている。
これといって締め切りはないが、頼まれている作品、依頼されてはいないが、ギャラリーで売るための「創るべき新作」。
仕事がある日は、仕事がやらない理由になるのでいいが、
休日は時間があるのにだらだらとして1日が終わってしまい、ざらっとした罪悪感だけが残る。

仕事を辞めたらいくらでも創作できるのに、と私は豪語しているが、
毎日家にいられるようになったなら、この罪悪感が積み重なってゆくだけなのではないかと恐れているのである。




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