太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

これはなんのチャンスだろう

2024-05-13 06:55:45 | 日記
私は40過ぎて離婚してから、私的にどん底と思えるところから、スピリチュアルに出会ったおかげで人生を切り拓いてきたのだけれど、
ここしばらくはそういうことから離れて暮らしていた。
毎日、自分にある祝福にひとつずつ感謝する日課は欠かさないが、瞑想するでもなく、目の前にあることを淡々とこなしていた。

10年以上通っていた、レイナのロミロミに行っていないのも、オーラとか、今の私のスピリチュアル的な立ち位置だとか今後のこととかを、知りたくないからなのだ。
それは私のエゴなのかもしれないが、私が「げ!」と思うようなことを言われたくないのが本音。
半年前に行った時、
「新しいことをどんどんやりたくなって忙しくなる、今度来た時どうなっているか楽しみだわ」
と言われたけれど、私はこれ以上忙しくなりたくないから、ちょっと嫌な気分になった。


そうは言っても、夫が仕事を辞めたりすると、自然とスピリチュアルな考え方に戻っていく。
そんなとき、友人がこんな文章を送ってくれた。

『愛とは他者にすべての空間と、すべての自由を与えること。
また自分にもすべての空間と、すべての愛を与えること。
他者の願望と意見に同意しなくても、理解できなくても尊重し、受け入れること。
人に期待せずに、与え導くこと』

友人が子育てで悩んでいたときに読んだ本に書いてあったそうだ。
砂に水がしみこむように、私の心にしみてきた。

何か都合の悪いことが起きた時、まず相手を責め、「私の何が悪かったのか」とすぐに考えてしまうけれど、
それは自分が望まないほうにいくことをコントロールできない苛立ち。
改めて、思う。


人に期待するのは、自分の願望を押し付けることだ。

見守れないのは、相手を信頼していないからだ。

そして、自分の幸せを自分以外のものに依存しているうちは、自分で自分を幸せにすることができない。


私は夫に「ながーく定職につく」という私の願望を、この期に及んでまだ押し付けていたかも。
私がその願望の看板を下ろさない限り、私はずっと幸せになれない。
自分以外のものでしか幸せになれないなんて、そんなのは御免だ。

今回の転職では、私は今までよりはずいぶん能天気でいられたと思うが、何も波風たたなかったわけではない。

「都合の悪いことが起きたときは、これはなんのチャンスだろう?思うといい」

これは私がある動画で拾った言葉。
危機だと思えばそうなり、チャンスと思えばそうなる。
現実はそれほどに簡単なことというのは真実だろう。ただそれを信じられないだけで。




私の願望ってなんだろう。

私と家族、友人たちが健康と愛とヨロコビと豊かさに満たされていること。

それに尽きるか。

夫がしばらく無職でも、べつに困らないのはスゴイことだ、と思うことにしよう。
そうなら、夫の仕事のことは夫の領域の問題であって、私には関係がない。
もとより、私がどうこうしたところでどうにかなるものでもないのだし。



夫は新しい職場に行き始めた。
感触は、「んー、まあまあ」というところで、あまり続かないかもしれないし、案外続くのかもしれない。
いずれにしても、私は私の領域のことを楽しくこなしていくだけである。


けれども、いきなり達観するのは私らしくないし、そもそも無理だ。
心のザワザワを眺め、ああでもないこうでもないと自分と対話し、深呼吸し、半ばヤケクソになって辿り着けばいい。

さて、これは私にとってなんのチャンスだろうか。
とっても楽しみです(棒読み)






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