太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

毛深いコンプレックス

2020-07-24 14:46:55 | 日記
自分が毛深いと気づいたのは、小学6年生のときだ。

母には、こういう話は言いにくい雰囲気があったので祖母に言うと、
「毛深いのは情が深い証拠だよ」とか
「シロは色が白いから目立つんだよ」と言う。
確かに私はよく「白いねー」と言われていた。(ハワイに住むまでは)
毛が薄くなるなら、薄情と言われたっていいと思ったし、色白だから目立つのではなく、実際に毛深いのだと知っていた。

以来、体毛は私のコンプレックスになっていたが、
中学・高校は気にしながらも、特に何か手立てをするわけでもなかった。
女子校というのもあったし、学校にプールがなかったので水着になることもなかった。
高2の時、友人が当時走りだったレーザー脱毛で、脇を脱毛した。
東京まで行き、痛い施術に何十万もかけたのに、1年後にまた生えてきてガッカリしていた。

二十歳を過ぎ、ますますコンプレックスは強くなる。
けれど、レーザー脱毛の話を覚えていたから、自己処理をするようになった。
剃刀で剃って、見違えるようにツルツルになった脛を見て狂喜したが
翌日の昼間には、ツンツンした毛先が表面に出てきた。
それをまた剃る。翌日にはツンツン出てくる。
剃るたびに、次から生えてくる毛がたくましくなってゆくような気がし、恐ろしくなった。


剃るのはダメだと思い、毛抜きで抜いてみた。
手間はかかるけど、毛が生えてくるまでに時間がかかるようになって喜んでいたら、
皮膚の表面下で毛が伸びてゆく、ということが起きた。
こうなると、皮膚を破ってそれを出さねばならず、毛穴は赤みがかって痛痒く、肌自体が荒れてくる。


変遷を経て落ち着いたのが、脱毛ワックス。
付属の小鍋でワックスを溶かして、肌に乗せて一気にはがす。
台所でワックスを溶かしていると、
「そんなこと気にするなんて」とでも言いたげに、母が眉をひそめたものだ。

ストッキングの表面から、毛がつくつくと出ているのを見たときの情けなさ。
準備なしに生足になれない悲しさ。
体毛のことなど気にしたこともないであろう、つるつるの脚や腕の人たちが羨ましくて仕方がなかった。


ところが、私のコンプレックスは突然終止符を打つ。

今の夫を紹介してもらうことになり、夫がハワイ出身だと聞いた私は、すぐにエステを予約した。
『ハワイは年中夏だからね』
ということなのだろうが、まだ相手に会ってもおらず、結婚するかどうかもわからないのに、
どうしてそういう行動に出たのかは謎。
4年通って、私は30年越しの夢であったツルツルの脚と腕と脇を手に入れたのである。

なぜもっと早くにやらなかったのかと思うけど、
痛くて高くて永久じゃない、昔のレーザーの頃よりもテクノロジーは発達し、
それほど高くもなく、痛くもなく、1年後に生えてもこない脱毛ができるようになっていたのだから、そのタイミングでよかったのだろう。




夫は、背中にまで体毛が生えている。
放っておくと、全部の体毛がクルンクルンにカールしながら伸びてゆくので
暑くてたまらず、アタッチメントのついたシェーバーで、定期的に全身の体毛を処理する。
「こんなにたくさん毛があるのに、なんで頭にはナイんだろう」
と言う夫に返す言葉もない。
「あの時、僕も一緒に永久脱毛すればよかった」
確かに、私が行っていたエステにはメンズセクションがあったっけなあ。


体毛のことを気にせず、年中、素足生足で過ごせることが夢のようであるが
脚を触るとジョリっとしたときの、あの悲しさを私は忘れてはいない。
永久脱毛は、私が自分にした1番の投資だと信じている。







最新の画像もっと見る

コメントを投稿