最終回で締めくくったけど、少しだけオマケ。
ソフィアを庭に放してから4日。
毎日、6時頃になると私が庭に出て、名前を呼ぶ。
ジャングルに向けて何度も、何度も呼ぶ。
たいてい、ジャングルの竹やぶの方から返事が来る。
「ナー」
返事を聞いたら、ボウルにゴハンを盛り付けてデッキに出して、私は家に入る。
そろそろとソフィアがやって来て、ゴハンを食べる。
デッキで食事中のソフィア
ドアを開けて近づけそうな距離だけれど、ドアを開けたら逃げてしまう。
ドライフードと猫缶を両方用意するけれど、どちらも食べ残してある。
他で食べ物を見つけられているのかと思えば、ホッとするような寂しいような。
戻ってくるかもしれないからゴハンはそのまま置いておきたいところだが、
ほかの猫が来たり、ハエがたかって卵を産むのが嫌なので、ソフィアが帰ったら片づける。
昨日は、私が名前を呼び続けていたら義父が来て、「うちのほうで返事しているよ」という。
見れば、遥か庭の片隅にいる黒い塊。
家にいたときは、きちんと猫砂の上で排泄していたソフィアも、今はもう昔のように自然のまま。
手作りの猫ハウスの中に用意した猫砂トイレはきれいなままだ。
猫ハウスは週末に片付けよう。
手作りの猫ハウスの中に用意した猫砂トイレはきれいなままだ。
猫ハウスは週末に片付けよう。
「ソフィアはハッピーだよ。自由だし、もう子供を産んで苦労することもないしね」
夫が言う。
なんでそんなにあっけらかんとしてられるのかと私は思う。
ソフィアにはソフィアの人生があり、幸せがある。
それが私が望む形でないだけなのに、私はむやみに心配する。
再び野良にしたことに、私のどこかに小さな罪悪感があるのがわかる。
しかしその罪悪感の正体は私の勝手な思い込みで、
もしかしたら、私は私が安心するために心配しているのかもしれない。
私とソフィアの距離は縮まらない。
けれど、呼べばどこかでそれを聞きつけてやって来て、元気な姿を見せてくれる。
少しゴハンを食べ、スッとどこかに消えてしまう。
野良だけど、名前がある。
ソフィアという、夫がつけたきれいな名前が。
自由な野良ソフィアとの生活が、私の日常になっていくのには、まだ少し時間がかかるだろう。