太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

年賀状のやめどき

2020-12-07 15:26:54 | 日記
日本に住む友人の高齢の父親が急に具合が悪くなり、家族がてんてこ舞いをしている。
まだ騒動の最中で、「あぁもう今年から年賀状はやめよう」と、ふと決めたのだそうだ。
まだ若いのに、などと言う人もいたらしいが、私は大賛成である。



子供の頃はむろん、大人になっても、年賀状は書くものだと思ってきた。
プリントゴッコで印刷したり、パソコンが出回るようになれば自分で印刷するようになって、
自分の子供の写真を印刷した年賀状が物議を呼んだ。(私のような行き遅れや子無しなどの、ごく一部に、だが)
今思えば、この前生まれたと思ったのに、もうこんなに大きくなったかと、
よその家の子供の成長の速さに目を見張るだけのことだし、
私が今年賀状を作れば、自分の猫たちの写真を載せかねない。
可愛くてたまらないものを人に見せたい気持ちは、人として自然であろうと思う。

3学期になれば教室で顔を合わせる友人に、
まだ年も明けていないときに「明けましておめでとう」と手が痛くなるほど書くのは、
子供ごころにも、「なんだかなー」と思っていた。

密かに好感を抱いている人からきた年賀状は、特別だったし、
正月の二日に、父が年賀状の山を仕分けするのを見るのも、
個性のある年賀状を見るのも楽しかったけれど、
年々、年賀状は気が重いものになっていったのも確かだ。

できれば年々枚数を縮小していきたい、
けれど、去年まで出していた相手に突然出さなくなるのもアレだし、
心を鬼にして出すのをやめても、相手から来れば返事を書かねばならぬしで、
年賀はがきの発売を聞くと、悩ましくなった。


私はハワイに住み始めたのをきっかけにして、年賀状の悩ましさからは解放された。
それでも最初の1,2年はクリスマス及び年賀のカードを書いていたが、いつのまにか自然に消滅。
アメリカではほぼ必須のクリスマスカードすら、最近はまったく書いていないというていたらく。

今は、LINEやメールで、いつでも、どこにいる友人にも瞬時に連絡がとれる時代だ。
固定電話しかなかった時代とは、まったく違う。
だから、私は友人の「年賀状やめました」宣言を肯定する。
(めんどくさくて、とっくにやっていない私に肯定されてもねぇ・・)
形だけしか残ってないもの、気が進まないものは、無理しなくていい。


けれども、
「今年こそ会おうね」と毎年自筆で書きながら、10年もたってしまうような
年賀状でかすかに繋がっている人達とは、
年賀状がなくなったら、きっとそのままになる。
どうせ会わないのだから、それでもいいのだろうけれど、
そのほんの1ミリの繋がりでも残してあれば、いつか本当に再会することもあるかもしれない、とも思う。

私は交友をつなぎとめておくことにまったくマメではなくて、
そう思いつつ、放ったらかしにしてきた交友関係が山とある。
そのことは、私の心の片隅に常にある小さな突起であり、
今、なんとか続いている関係は、相手の努力のたまものであるのも承知していて、
それでなお、どうにかできないところが、私に友達が少ないゆえんである。









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