左 「シージェッター 海斗」のモニュメント 右 「MEET 門脇」建物
あの東日本大震災から今月11日で10年が経過しました。
その節目に合わせるように「伝承交流施設 MEET 門脇」がオープンしました。
旧門脇小学校と、今月末にオープン予定の石巻南浜津波復興祈念公園の間に位置します。(写真左 建物の右後方に旧門小の建物が見えますね。)
先日訪れてみました。
建物の入り口を入ると ホールにいくつかの展示がありました。
一つは震災当時に被災してしまった石巻日々新聞の方々が、手書きで地域の様々な情報を伝えていた模造紙の壁新聞です。
避難情報やその他生活に必要な当時の石巻の様子をとりあえず知らせようと作られたものです。
家も車も失って身動きの取れなかった方々にとって大切な情報源となったのです。
次に目についたのは、少し破損した水色も鮮やかなモニュメントです。(初めの写真左)
これは、「シージェッター 海斗」だそうです。漫画の主人公なのでしょうか?震災前石巻市内のところどころに建っていた漫画の人気の登場人物?の一人だったのでしょうか?
このモニュメントががれきの山の中から見つかった時の新聞記事が傍らに掲示してありました。
復興のシンボルとして被災した人々に勇気と元気を与えたモニュメントです。
そして、その脇にはパネルが8枚ほど展示してありました。
震災直後人の様子やがれきだらけの街 の様子。そして多くのボランティアの方々が片付けの作業をしてくださっている写真等、当時の石巻が立ち直るためにいかに多くの方々の善意やご苦労に支えられたかが分かり、改めてその当時の悲惨さを思い出しました。
それからシアターに入りました。
中は真っ暗で正面に大きな(大体幅8メートル 高さ4~5メートル位?)スクリーンが壁いっぱいにあり、映像が流れていました。
ここは、あの日の100名の避難行動や体験者の言葉をもとに命を守れる希望を与えてくれる場所とのことです。
避難の際の体験や思いを話す言葉に重さを感じました。
また、車で避難する道で迫ってくる津波から逃げていく時、押し寄せて広がってくる津波の映像は生々しく激しくまるで自分がその場にいて津波に飲まれそうになっているような恐怖を感じました。
その時は、前面のスクリーンだけでなく右側にもスクリーンがあり、そこからも自分の方にどっと大量の水が押し寄せ、走っていた車がおもちゃのように浮かびぶつかり合うのです。すごい臨場感でした。
その隣には展示室があり、震災前の南浜町・門脇の航空写真と震災直後の写真がありました。津波の勢いは本当に想像を絶するものだと改めて感じさせられます。
その他、大切な命を失った悲しみを、見ている人を守る願いにかえていく展示がいろいろありました。
今月28日には、隣の石巻南浜津波復興祈念公園がオープンします。
あの大震災と大津波から10年を経過した今、石巻のこの地には、その風化を防ぎこれからの災害に備えるための施設がそろいます。(旧門脇小学校についてはまだ工事中でしたが、外側からでもその被害は十分に見ることができます。)
「MEET 門脇」を設立した公益社団法人「未来サポート」の方々には被災を無駄にせず未来の人々のために生かしていける大切な場をつくっていただきました。心からお礼を申し上げたいと思います。
この施設設立のための整備資金がまだ不足しているとのことで、クラウドファンディングを実施しています。
(施設整備用 総額 9000万円に対して、これまでの寄付・助成金は6000万円で不足額は3000万円とのことです。)
寄付に関しては、税制優遇の対象となっており、1万円の寄付に対して確定申告により3200円の控除が受けられるそうです。)
現在、宮城県は新型コロナ感染者の県全体の人口に対する割合が全国ワーストとなっており、すぐにおいでくださいとは言えないのですが、感染が落ち着いたら訪れてご覧になり体感していただければと思います。
ホールには石巻産の食品等の展示や販売もありました。
被災により、一度はあきらめた事業を皆さんの後押しを受けて再開にこぎつけた味噌や鰹節その他の調味料やお菓子が
ありました。
おみやげに「山形屋」の味噌を購入してきました。
※ 「MEET」の語源は、
Marchi.11 3月11日(東日本大震災の起きた日)を原点に津波と火災で覆われたこの場所を出会いの場へ
Education 防災教育 つながる人々が変化する 3.11をしらない世代の子どもたちへ体験を通した学びの場へ
Exhibition 展示 悲しみと願いを示す 大切な命を失った悲しみを、あなたを守る願いにかえて
Theater 映像シアター- 命を守れる希望を伝える
「あの日」の100名の避難行動をもとに、命を守れる希望を2面シアターで上映
ということで、4つの頭文字を合わせてできたようです。
とても考えられたネーミングですね。
10年もたった石巻に行ってみたくなりました。私が育ったあのあたりはどう変わったかと。日和山から見た景色はどう変わったかと。
まだまだ余震が続くというのは残念だけど、「逃げる」「命を守る」という意識だけは、10年前より皆さん強くなられたでしょう。
公園に向かう道も変化しました。昔砂山と言っていたあの場所も砂山ではなくなりました
でも、昔の東北パルプの頃のアパートはまだ建っています。まだ人が住んでいるのでしょうかね
なので、門脇の記事がupされて、あれから10年の悲しい記事ではありますが状況がよく分かり良かったです
門脇の奇跡的に助かった方たちというと私は知り合いの顔が浮かびます。100人の中にいるかもしれませんね
そしていつの間にかいろいろな意味で自分のフットワークも重くなってきているような...!?
でも、防災グッズの点検はできます