ソーシャルワークの TOMORROW LAND ・・・白澤政和のブログ

ソーシャルワーカーや社会福祉士の今後を、期待をもって綴っていきます。夢のあるソーシャルワークの未来を考えましょう。

日本のサービス・デリバリー・システムについて(1)

2008年11月21日 | 社会福祉士
 韓国老年学会のご招待で、11月20日に「高齢者のサービス・デリバリー・システム」に関する国際シンポジウムがソウル市内で開催された。最初は、英語のペーパーを送ってほしいとか、英語でのシンポということで気が重かったが、最終的には、日本語とハングルで同時通訳となり、同時に日本語のフルパーパー(7,000字程度)を韓国でハングルで翻訳してくれることで助かった。私のタイトルは、「日本におけるサービス・デリバリー・システムの展開について―高齢者領域を中心にして―」であった。他のシンポジストは、韓国の保健福祉研究所のスンウー(Dul Sunwoo)長期ケア政策チームの長と、オーストラリアのシドニー大学のケンデック(Hal Kendig)教授であった。

 このサービス・デリバリー・システムは、利用者に必要なサービスを配達する仕組みのことである。ゴールドプランの際に作られた在宅介護支援センターが原初形態であり、それが介護保険での居宅介護支援事業者や地域包括支援センターが核となるデリバリーの仕組みを作り上げてきた。そこでのメリットや課題について整理したものである。韓国の研究者や実務者からそれなりの評価を得たと思う。

 そこで、6回にわたり、韓国で発表した内容を掲載することにする。

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1 はじめに

 ここ20年の日本の社会福祉は,高齢者福祉分野が他の福祉分野の政策を先導し,福祉政策全体の流れをつくりあげてきた.これは、1989年の「ゴールドプラン」や1990年の「社会福祉関係八法の改正」がそのスタート台である。さらに、社会福祉基礎構造改革は理念的には2000年に作られた「社会福祉法」のもとで展開していくことになるが、その内実は1997年に制定された「介護保険法」により、高齢者福祉分野が他分野の牽引者としての役割を果たしてきた。

 この20年間での高齢者福祉政策の特徴は,制度としてのパーソナル・ソーシャル・サービスだけでなく,サービス・デリバリー・システムを発展させてきたことにある。ソーシャル・デリバリー・システムとは、「個々の利用者に対して必要なサービスを円滑に届ける仕組み」と定義づけることができるが、このシステムはこの時期になって初めて高齢者福祉政策の一部として位置づけられ、展開してきた。本小稿では、このサービス・デリバリー・システムの展開について、高齢者領域を中心にして論述してみる。

2 高齢者領域でのサービス・デリバリー・システムの歴史的展開

 この20年間の高齢者福祉政策は,大きく以下の3つの時点でターニングポイントがあり,それぞれのポイントにおいて,ソーシャル・デリバリー・システムの発展と転換がなされてきた。それでは、以下に3つのターニングポイントを示してみる。

①第1のターニングポイントの特徴と課題
 最初のターニングポイントは,1990年初頭に起こったが,それは以下の2点で特徴づけられる.
・1989年;ゴールドプランの開始(ヘルパー・デイサービス・ショートステイといった在宅福祉サービスの大幅増の計画,中学校区に1か所の在宅介護支援センターの設置(ケアマネジメントの起こり))
・1990年;社会福祉関係八法の改正(①高齢者保健福祉計画の作成を市町村に義務づけ,②高齢者・身体障害者福祉について市町村での施設・在宅サービスの一体的提供)

 1989年は「高齢者福祉元年」とよばれるように,この時期に,在宅サービスを計画的に増大させ,市町村という最小単位で各種サービスを一元的・統合的に供給する,地域福祉の土台を推進することになった.海外でも同じ動向がみられるが,多様なパーソナル・ソーシャル・サービスを量的に増大させ,同時にそうしたサービスを利用者に適切に届けることが必要であり,それを計画的に始めたのが,この時期の特徴である.アメリカであれば,パーソナル・ソーシャル・サービスが社会保障法第20章のもとで,1つのヒューマン・サービスとして位置づけられたのは1975年であり,これ以降ケースマネジメントが普及していった.イギリスにおいては,10数年遅れ,1990年に制定された「NHSおよびコミュニティケア法」の下,地域福祉を推進するためにパーソナル・ソーシャル・サービスの量的な拡大が計画的に図られ,同時に地方自治体のSSD(social services department)にケアマネジメント・システムが導入される時期に相当する.

 日本においては,当時の厚生省大臣官房老人保健福祉部が、一方で、市町村での計画的にサービスを拡大していく手法の開発を目指して「高齢者保健福祉計画作成研究班」と、拡大したサービスを要援護高齢者にデリバリーしていく仕組の開発を目指した「高齢者在宅ケア・ケースマネージメント研究班」を組織し、市町村が高齢者保健福祉サービスを計画的に作成していくための『高齢者保健福祉計画作成研究班報告書』(1990年)、および高齢者保健福祉計画のもとで作られた在宅サービスを高齢者にデリバリーしていく地域システムを示す『高齢者在宅ケア・ケースマネージメント研究班中間報告書』(1990年)を刊行している.これらでもって,個々の市町村では,地方分権化の下,高齢者保健福祉計画に基づき、在宅保健福祉サービスを計画的に増大させ、他方要援護高齢者にサービスを提供していく地域ケアシステムの初期形態を作り上げていった.

 具体的には、老人福祉法と老人保健法の改正により、各市町村が高齢者保健福祉計画を作成することを義務づけ、その中で高齢者保健福祉サービスの目標量を設定した。一方中学校区を核にして、全国で1万か所の在宅介護支援センターを設置し、そこでサービスを必要な利用者の発見から、アセスメント、ケアプラン作成・実施、モニタリングといった一連のプロセスを踏んで、利用者がサービス利用への円滑なアクセスを可能にするサービス・デリバリー・システムの原型を作った。

 この当時のサービス・デリバリー・システムは、在宅介護支援センターに保健師と介護福祉士、または社会福祉等のソーシャルワーカーと看護師を配置し、要援護高齢者の相談にのり、ケアマネジメントを実施することであった。このサービス・デリバリー・システムの問題点は、大きく2点あった。第1は、必ずしも全ての要援護高齢者が在宅介護支援センターでケアマネジメント支援を受ける窓口の仕組みではなく、市町村の福祉事務所等や保健センターでも相談窓口になり、支援していたため、オプショナル的な役割に過ぎなかった。第2の問題点は、在宅介護支援センターで作成されたケアプランが必ずしも実施できるかどうかは確かではなかった。それは、福祉事務所等が措置権をもっており、サービス利用の決定やさらには利用できる頻度の決定の権限は市町村にあったためである。

 第1のターニングポイントは、この時期での改革抜きには次の段階がなかったと言える。市町村の責任で長期的に必要な各種在宅サービスのインフラを築き上げ、サービスへのアクセスを促進する人材を養成し、本格的なサービス・デリバリー・システム形成に向けての目安が出来上がりつつあった時期として位置づけられる。