高野山2日目は宿坊の不動院を後にして、大師信仰の中心聖地である奥の院へと参道を歩きました。
奥の院の入口である一の橋までの道の両側にも、昨日宿坊まで歩いた道のように左右にお寺さんがあって、ところどころにお土産物屋さんがありました。
歩いていて感じたことですが、山上の聖地高野山はどこを取っても絵になる光景があり、ちょうど紅葉も見頃だったので、お寺の白壁と紅葉がマッチしていました。 入口です。
一の橋から御廟までの約2キロの参道には、何百年も経た老杉がそびえていて、荘厳な雰囲気が漂っているようでした。
屋久杉にも劣らないと思われる大木の老杉が約1300本も立ち並び、樹齢1000年を超えるもの、樹高50Mにもなるものや、特別母樹林として保護されているものも。
それらの木々の間に武将から庶民まで20万基を超す墓碑が並んでいて、老杉同様に本当に驚きました。
たとえば武田信玄、伊達政宗、明智光秀、織田信長、石田三成など有名な武将のほか、薩摩島津家、加賀前田家、豊臣家など古びて苔むした墓碑の数々。
それらを通って一番奥の玉川の清流にかかる橋を渡ると、大師の奥の院御廟がありました。
もちろん聖地なので写真撮影は一切できません。
御廟の前で一心不乱に般若心経を唱えている信者の方や、白装束に身を固めた信者の方など多くの人がお参りに来ていました。
御廟から帰りは1、3キロほどの別の参道を中の橋まで歩いたのですが、この参道にも有名な社名の入った墓碑がずらりと並んでいて、ビックリでした。
高野山最後に霊宝館へ。
1200年の歴史を持つ高野山に残る国宝、重文、県文化財などの貴重な資料を見学しましたが、寒いので使ってくださいと入場料を払ったところでカイロをもらいました。館内はしんしんと冷えていました。
紀伊山地の霊場と参拝道を歩いてみて、オーストラリアやフランスから外人がやってくるのもうなずける魅力に満ちた聖地ということがわかりました。
特に信心深くはないのですが、高野山と一体となったような不思議な力がもらえたような気がしました。
また機会があれば再度訪れてみたいと思ったことです。
奥の院の入口である一の橋までの道の両側にも、昨日宿坊まで歩いた道のように左右にお寺さんがあって、ところどころにお土産物屋さんがありました。
歩いていて感じたことですが、山上の聖地高野山はどこを取っても絵になる光景があり、ちょうど紅葉も見頃だったので、お寺の白壁と紅葉がマッチしていました。 入口です。
一の橋から御廟までの約2キロの参道には、何百年も経た老杉がそびえていて、荘厳な雰囲気が漂っているようでした。
屋久杉にも劣らないと思われる大木の老杉が約1300本も立ち並び、樹齢1000年を超えるもの、樹高50Mにもなるものや、特別母樹林として保護されているものも。
それらの木々の間に武将から庶民まで20万基を超す墓碑が並んでいて、老杉同様に本当に驚きました。
たとえば武田信玄、伊達政宗、明智光秀、織田信長、石田三成など有名な武将のほか、薩摩島津家、加賀前田家、豊臣家など古びて苔むした墓碑の数々。
それらを通って一番奥の玉川の清流にかかる橋を渡ると、大師の奥の院御廟がありました。
もちろん聖地なので写真撮影は一切できません。
御廟の前で一心不乱に般若心経を唱えている信者の方や、白装束に身を固めた信者の方など多くの人がお参りに来ていました。
御廟から帰りは1、3キロほどの別の参道を中の橋まで歩いたのですが、この参道にも有名な社名の入った墓碑がずらりと並んでいて、ビックリでした。
高野山最後に霊宝館へ。
1200年の歴史を持つ高野山に残る国宝、重文、県文化財などの貴重な資料を見学しましたが、寒いので使ってくださいと入場料を払ったところでカイロをもらいました。館内はしんしんと冷えていました。
紀伊山地の霊場と参拝道を歩いてみて、オーストラリアやフランスから外人がやってくるのもうなずける魅力に満ちた聖地ということがわかりました。
特に信心深くはないのですが、高野山と一体となったような不思議な力がもらえたような気がしました。
また機会があれば再度訪れてみたいと思ったことです。