いよいよ、岩手県高校サッカー選手権も、ベスト4が揃いました。盛商・遠野・不来方・市立。昔は、不来方はありませんでした。
一関サッカースポーツ少年団県大会初出場時の新聞切り抜きです。その当時は、市内は一関南FC・一関SSSしかなく、山目小の子供たちも同じ少年団で闘ってましたね。
何せ、県大会には県南ブロックから4チームの出場ですから、非常に狭き門でした。4年生の長男は、メンバーに入れず悔しがっていましたが、親から見れば妥当なところと思ってました。
私も、サッカーなんて!!。なんて時代でしたね。あの位走って1点しか入らないスポーツには、興味を抱きませんでしたね。この年の育成会総会に出席し、事務局の運営がおかしいと発言し、その後は反対意見を言った限りは、ケジメとしてあらゆる運営に協力しましたが、その事務局(元一関市体育課長)さんには、先日コロの見舞いに夫婦で来て頂き感謝している所です。今の体育課長は、隣の奥さんのお兄さんで、葬儀の時に先輩だと初めて知りました。縁は、大事にするべきですね。
ひとつ上の先輩が、大船渡・盛商に進みましたが、この年のメンバーは、盛商にキャプテン含め2名・大船渡2名・遠野1名。
親も子供も一緒に、サッカーに没頭した時代でしたね。たぶん、私は役員でもないのに、全試合応援・テントの設営・運搬に協力したはずです。文句を言った限りは、協力が前提です。子供達のためにと思うのは、皆同じで行動あるのみでした。反対することは、とてもバイタリティが必要で、行動しないと結果的に負けに繋がる。そんな思いでしたね。
という訳で、キャプテンは、盛商に進み3年生の時に、斉藤先生が大船渡から転任。盛岡市立グランドで、高総体初戦。関一対?。の次の試合が盛商で、ブラジル体操の精錬さを見て、びっくりした時代です。転任し高総体で優勝し、選手権は逃した気がしますが、生半可な気持ちでは、とても通用しない事を感じました。盛商は、やはり盛商の歴史。厳しさがありますね。この年代までは、3名が盛商でした。
盛商11番は、桜町中。今では考えられませんが、斉藤監督には、大船渡高含め5名が指導受けているはずですね。
さて、今年残すチームでは、不来方4名。遠野2名。個人的には、遠野高を応援したいと思ってました。いつか、あのハッピを着たい。
我家の馬鹿息子達3人も、遠野高に行きたい!と相談されましたが、すべて却下。でも、行かせたかった。
孫の世代にしてくれ!。ごめん!!。
31日は、遠高の法被を手に入れ、応援したいと思います。サッカー文化の理想系は、遠野市だと思いますね。爺さんから、小さな子供まで、文化になっています。
全国大会では、盛商に変身するかもしれませんが?。
先日から、勇気付けで長男の結婚披露宴の動画を紹介され、毎日見ています。親子共感できたサッカーは、素晴らしいと思います。
「fit's」
八幡平・岩手山も初冠雪。外に出ると寒いですね。
寒さに負けず、頑張って行きましょう。