熊大の東側の道路を
泰勝寺跡方面に上っていく途中
右側に下ると、リデル、ライト両女史記念館があり
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/b0/a9bec5801ae9722490a8d5aac4ea32c3.jpg)
左側に上っていくと、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/4b/e9f89cb4d15b26369a208df688518e7c.jpg)
このような標識があり
左にいけば鼻欠け地蔵などの方へ。
真っすぐ行けば駐車場があり、
海老原喜之助の「殉教者」の彫刻が
嵌めこまれた忠霊塔が建っている。
(2022年5月28日拙ブログにUP)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/97/d1e5f1f29216e99f92183d55c2b72dc7.jpg)
ふっくらとしたお顔が
ユーモラスな笑みをたたえていて
小泉八雲がこよなく愛した
理由が分かるような気がする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/1c/d388bc1185e8b9779468623dcd3979cb.jpg)
下の散歩道から見上げると
こんな感じ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/4f/96765322faf5204d7f0eb38a0b8e4a36.jpg)
うしろ姿は
なんとなく体温を感じるような
丸みを帯びている。
この小峰墓地には
歴史上結構有名な人たちのお墓がある。
時代順に
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/65/feb6dfb72473611b53593a727292bcbe.jpg)
秋山玉山
1,702年生まれ。藩校「時習館」創設し初代教授。
儒学者であり、詩文、書道にも優れ
江戸中期の肥後の大文豪と言われているそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/da/d8524a7b38c6fa4ae8db5175ae841b6f.jpg)
宮部鼎蔵
1,820年生まれ。
肥後勤王党
(墓地の説明書きには、勤皇党ではなく勤王党)
の中心人物として活躍し、
三条実美の信頼が厚かったという。
吉田松陰の無二の親友で東北諸藩を共に遊歴したのは有名な話。
1864年池田屋で同志と会合中、
新選組に襲撃され自刃。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/b6/508de6e072c4acb0cd47b3ed362c4a0f.jpg)
神風連副隊長加屋霽堅(かやはるかた)
その生きざまが、
三島由紀夫にも影響を与えたようで
熊本の俳人永田満徳さんが
それについて書いている文章があります。
この他にも、
蓮田善明(1904ー1945)とも関係があり
三島由紀夫は熊本と縁が深いですね。
(1945年8月19日
蓮田善明の死に方は壮絶だ!)
太腿の内に汗掻く憂国忌 知青
『櫨の実の混沌より始む』(2017)
一昨日、たまたま晴れて
We14号記事に必要な写真を
撮りに行ってきました。
時習館、細川しげかた公しか知りませんでした~(秋山玉山ですね💡メモメモ✏️➰)
さいきん、敬神党っていうことが多くなってきていることに、うちのチットがくすぶっています。しんぷうれんがいいそうです☁️
クリンより🐻
コメントありがとうございます。
お返事書くために
(前々から行こう行こうと思っていたのですが)
きょうは
桜山神社の神風連資料館に行ってきました。
(我が家から結構近い)
色々情報は仕入れてきましたが
一番、そうだったのか!というのが
資料館では、神風連の乱ではなく
「神風連の變」と書いてあったことでした。
資料館の爺様の話では、それは
隊長太田黒伴雄にも副隊長加屋霽堅にも死後に
正五位が贈られたからということでした。
その後
かれらの日本を思うこころは
蓮田善明、荒木精之、
三島由紀夫に受け継がれていったようですね。
三島由紀夫来訪時の写真がありました。
鼻欠け地蔵、愛嬌があっていいでしょ!?