小塚遺跡発掘現場の見学だよーん!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/f9/8e754f91db0525e1b672e1d6b8c8ed14.jpg)
(現場は写真左上の竹林の一角)
右下の所まで道路建設が進んでいる。
<<小塚古墳>>
~熊本市北区貢町小塚にある古墳時代の3基の円墳
白川支流の井芹川流域である。
盗掘されていて金目のものは出土していないが、
鉄刀(長さ113cm、幅4cm)と鉄の矢尻、人骨、須恵器、土師器、刀子(とうす)が出土。
石室の石は、比較的近い金峰山あたりから運ばれた安山岩。
複室(前室と玄室を持つ)の石障系横穴式石室。
近くにある彩色装飾の釜尾古墳より規模は小さい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/82/99e1844c0fd9f8f5493d487999f4c894.jpg)
<標高の一番高い所に位置する1号墳>・・・3基の中で時代的には一番新しい。
このあたりの人々はこの古墳のことは知っていたという。
私有地で発掘調査は無し
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/ef/6f07e84a4029123e927dfda7c04c6f0f.jpg)
<6世紀後半の円墳・2号墳>
長軸19m。短軸16、5m。石室全長4、5m。
入口通路を含めると9、8m。
玄室は正方形の石室。刀子のみ出土。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/ce/4a715c4f0226dab1c3091fc132b09cd3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/8d/7e9fbc1d5144afb3cdf294c1b064e614.jpg)
<6世紀前半の円墳・3号墳>
直径約20m。石室全長5、8m。
入口通路を含めると12、5m。
6メートルくらいの墓道と前室~南側から撮影
前室と玄室の入り口にはそれぞれに石の扉。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/fb/7d41140fa371c1fd2d1be928feab5e0f.jpg)
~後ろに回ると玄室がー
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/d2/0c89b75e995bfaa554c558204b3f536c.jpg)
玄室は典型的な肥後型石室だそうで、
天井石は一つ、約400kg。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/03/49f33ea5e9bb9f5879762d684aa34482.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/bb/6cf782198211a37631b6457b7233aa77.jpg)
肥後型とは、玄室が正方形の石室で、石がドーム状(アーチ型)に積みあげられたもの
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/f4/c2056a5a6c8375e0a59185235a2780ad.jpg)
人の大腿骨の一部(写真をみせてくれている)と壁沿い(写真右下)に鉄刀と鉄の矢尻出土。
屍床は東西(頭は西)に、太刀は頭の近くに南北に置かれていたようだ。
肥後の石橋の技術の原点が、意外とこういうところにあるのかも。
歩いて駐車場まで戻る途中の芍薬!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/fa/d89210d2cdc21694e0f00971045d8385.jpg)
10歳くらいの男の子も撮っていたという
<<釜尾古墳>>
同じく白川支流井芹川流域。
6世紀前半でも古い時期。
主体部は安山岩で築かれた複室の横穴式石室をもつ円墳。
5世紀後半の富ノ尾古墳の石障系石室の流れを組む。
前室は未発達で羨道と同じで細長いが、
羨道との境に袖石があり、框石を置いている。
装飾文様は、赤・青・白の配色で、
横向きの双脚輪状文3個と同心円文1個、三角文。
この双脚輪状文は珍しいー。
参考にした『肥後における装飾古墳の展開』
(高木正文著、1999年3月発行)には
もっと詳しく記載されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/f9/8e754f91db0525e1b672e1d6b8c8ed14.jpg)
(現場は写真左上の竹林の一角)
右下の所まで道路建設が進んでいる。
<<小塚古墳>>
~熊本市北区貢町小塚にある古墳時代の3基の円墳
白川支流の井芹川流域である。
盗掘されていて金目のものは出土していないが、
鉄刀(長さ113cm、幅4cm)と鉄の矢尻、人骨、須恵器、土師器、刀子(とうす)が出土。
石室の石は、比較的近い金峰山あたりから運ばれた安山岩。
複室(前室と玄室を持つ)の石障系横穴式石室。
近くにある彩色装飾の釜尾古墳より規模は小さい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/82/99e1844c0fd9f8f5493d487999f4c894.jpg)
<標高の一番高い所に位置する1号墳>・・・3基の中で時代的には一番新しい。
このあたりの人々はこの古墳のことは知っていたという。
私有地で発掘調査は無し
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/ef/6f07e84a4029123e927dfda7c04c6f0f.jpg)
<6世紀後半の円墳・2号墳>
長軸19m。短軸16、5m。石室全長4、5m。
入口通路を含めると9、8m。
玄室は正方形の石室。刀子のみ出土。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/ce/4a715c4f0226dab1c3091fc132b09cd3.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/8d/7e9fbc1d5144afb3cdf294c1b064e614.jpg)
<6世紀前半の円墳・3号墳>
直径約20m。石室全長5、8m。
入口通路を含めると12、5m。
6メートルくらいの墓道と前室~南側から撮影
前室と玄室の入り口にはそれぞれに石の扉。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/fb/7d41140fa371c1fd2d1be928feab5e0f.jpg)
~後ろに回ると玄室がー
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/d2/0c89b75e995bfaa554c558204b3f536c.jpg)
玄室は典型的な肥後型石室だそうで、
天井石は一つ、約400kg。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/03/49f33ea5e9bb9f5879762d684aa34482.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/bb/6cf782198211a37631b6457b7233aa77.jpg)
肥後型とは、玄室が正方形の石室で、石がドーム状(アーチ型)に積みあげられたもの
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/f4/c2056a5a6c8375e0a59185235a2780ad.jpg)
人の大腿骨の一部(写真をみせてくれている)と壁沿い(写真右下)に鉄刀と鉄の矢尻出土。
屍床は東西(頭は西)に、太刀は頭の近くに南北に置かれていたようだ。
肥後の石橋の技術の原点が、意外とこういうところにあるのかも。
歩いて駐車場まで戻る途中の芍薬!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/fa/d89210d2cdc21694e0f00971045d8385.jpg)
10歳くらいの男の子も撮っていたという
<<釜尾古墳>>
同じく白川支流井芹川流域。
6世紀前半でも古い時期。
主体部は安山岩で築かれた複室の横穴式石室をもつ円墳。
5世紀後半の富ノ尾古墳の石障系石室の流れを組む。
前室は未発達で羨道と同じで細長いが、
羨道との境に袖石があり、框石を置いている。
装飾文様は、赤・青・白の配色で、
横向きの双脚輪状文3個と同心円文1個、三角文。
この双脚輪状文は珍しいー。
参考にした『肥後における装飾古墳の展開』
(高木正文著、1999年3月発行)には
もっと詳しく記載されています。
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