四季の書斎 世界は破滅に向かっている。

永遠不滅の生き方を提供!

一瞬の花火と永遠のフェルメール。大衆と天才の違い。

2011年08月01日 21時02分59秒 | 日毎起こること
人は好むものによって大きく違ってくる。

人間は食べ物と環境によって顔形がことなる。
昔はそうであったが、最近はすべての人間が似通ってきている。

地産地消と言いながら、やはり世界中の好きな食べ物を食べているのである。
特に日本人はどこでも似通った食べ物を食べている。

そして興味も似通っている。
野球・サッカー・テニス・ゴルフ・花火etc。

その時だけの享楽が大好きで、思索を深めることはない。

神が存在するかどうかなどと言ったことを、一生涯掛けて考えることはない。
常に選手がどうした、何点獲ったなどということが大事なのである。

丁度、ニーチェの『権力の意志』上巻が見つかったので、読んでみると「畜群」の章がある。

自らは何も成し得ない畜群、羨望のみ出来損ない、凡庸なものの本能。

明日からも、野球やサッカーに精を出しなさい。汚い顔がさらに蓄積されていくであろう。

良き人よ! 芸術を慈しみなさい。美術を愛し、音楽を愛し、いにしえの書物を読みなさい。

そして安らかに寝なさい。

おやすみなさい。

今日は、歯の荒治療でまたしても苦しんでいる。

遠くに名医がいるがもう来なくていいと引導をわたされてしまった。


黒崎めぐみは高校野球オタクだったのか? 幻滅だねぇ~、応援やめた。

2011年08月01日 17時12分01秒 | 日毎起こること
NHK(日本ホモ協会)

基本的にTVの世界を目出す人間は質が低い。
映像という得体のしれないものは、錯覚である。と、渡辺二郎教授は言っていた。

視覚的に網膜を通過して我々の脳に到達するものの中でも、実体のあるものと実体のないものとでは、われわれに与える影響はことなる。

アメリカの教育機関が実験したところでは、放送で授業されるものと、教室で授業される場合には、後者の方が記憶に定着するという。

映像を流すとは潜在的な無意識の世界に入り込みにくい不実在なのであろうか。
しかし、マインドコントロールが可能なのは映像だという。

本当の、黒崎めぐみとTV画面の黒崎めぐみとでは異なる存在であり、スタジオの黒崎めぐみと私生活の黒崎めぐみとも、また違った存在である。

普段と違った人間は何かを装っていることになる。TVというのは、普段の本人とかけ離れたものとなるのである。これは映画でも同じである。

俳優は自分ではなく、他人を演じなければならない。常に自己から離れていく存在である。
だから、俳優たちはつまらぬCMに出ながらも商品を素晴らしいと、平気で嘘がつけるのである。
そういう点では、たとえ詐欺商品でも彼らは恥じることがない。

下手な絵でも、つまらぬ演奏でもNHKでは、褒めている。
それをやっているのがアナウンサーたちである。

やはり、そう考えると、普段の気持ち(平常心)を、養いながら生きている佐瀬美和子先生は、心から賛美できるといえよう。