四季の書斎 世界は破滅に向かっている。

永遠不滅の生き方を提供!

歴史を見れば分かるが、王族・貴族たちが集めたのは何よりも美術品であった!

2010年07月03日 02時42分27秒 | 美術・建築・工芸
ピカソの絵画「ヌード、観葉植物と胸像」が、日本円にして100億円ほどで落札された。円高でこの値段であるから、実際のドルの値打ち約1億648万ドルは1・5倍ほどに換算してもよいと思う。

ピカソの子供(5歳前後)の頃の絵を見ると、実に恐ろしいもので、生まれながらにして既に完成した畫家であった。
14歳頃の石膏はデッサンでは、空間と生命を得ている。足の作品(踵から下)などは、芸術作品である。

つまり、生まれながらにしてこのような才能に恵まれている人間の作品は1日で仕上げたという時間的なものは、ほとんど意味を成さない。たとえ1時間で仕上げたとしても同じであろう。

ゴッホも一日に20枚近く描くときもあったであろうし、ニーチェは『ツァラトゥストラはかく語りき』を1週間ほどで仕上げたという。

芸術はそもそも高貴なもので、その高貴なものを所有することは品格を増すのである。
相撲取りと品格の問題を日本のマスコミは取り上げていたが、およそ縁もゆかりもない世界であろう。

芸術と縁がないのに、品格などとは縁の有り様はない。そもそも品格を数百個あわせ持つと、人格になる。
つまり人間は人間を獲得するためには、並々ならぬ努力が必要となる。

天才は神からの啓示である。ベートーヴェンは「音楽は神からの啓示である。」と、言ったが、天才そのものが神からの啓示であり、昔から天才を崇めたのである。現代は丁度その反対で凡俗の反乱が天才を抹殺している。

とくに大学などで成績のよい凡俗の秀才たち、たとえば養老孟司などは嫉妬に挙句あまり、天才を単なる脳の変異者のごとく扱っている。

しかし、天才は器質的にまったくことなる存在で、彼らの見るものは常人とは全く異なるのである。
基礎的な学問とは芸術作品の鑑賞から始めることが人間を形成していく上で非常に重要である。

文学作品を読み、絵画を鑑賞し、音楽を聴くという、芸術の三位一体を実践することから、人生をはじめなければならない。

芸術の値段が少なくともその価値を示しているが、ミサイル砲から守られる『モナ・リザ』においてはプライスレスなのである。

われわれは部屋の中にパンフレットから切り抜いた傑作を壁に貼り付けてみるだけでもよいのである。