伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年に続き2023年も目標達成!

百人一首 編纂がひらく小宇宙

2024-02-29 23:20:21 | 人文・社会科学系
 百人一首の成立とその後の受容、浸透の経緯、理由を考察する本。
 1951年に発見された101首の「百人秀歌」は藤原定家の撰であるが、これと97首まで同じ歌を選び1首を差し替え3人3首を削り歌の配列を入れ替えた上で、百人秀歌になかった承久の乱で島流しとなった後鳥羽院、順徳院の2首を加えて最後に置いた「百人一首」は定家の撰ではなく後世の改編であるが、古典のテキストとしてのコンパクトさ、詞書きがなく歌のみで一首ごとに分解できそれだけで味わえる便利さというスタイル、改編により歴史的な悲劇性などのインパクトが加えられたことにより幅広く受容されたという説明です。
 ほとんどが同じ歌でも定家の「百人秀歌」が古今集以来の勅撰集の手法を踏襲して歌自体の配列で流れを出しているのに対し、「百人一首」は歌人の関係、確執、生い立ち、境遇での連なりに、その時代の読者が思いをはせることを想定しているというのは、そんなの知らない私には思いもよらないことでしたが、そう説明されるとなるほどと思います。そうだとすると、謎の無名の改編者は平安時代の王朝、歌人の歴史と事情に通じたかなりの教養人だったのでしょうね。
 小倉山の山荘の襖に100枚の色紙として貼られていたというのは、現実にはあり得ず、室町時代に連歌師宗祇らが広めたものだろうというのです(185~186ページ)。
 百人一首のそれぞれの歌よりも全体というか流れを見るという視点が私には新鮮でした。そうであれば、この歌人のベストはこの歌じゃないだろうという疑問も氷解します。


田渕句美子 岩波新書 2024年1月19日発行



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