近江神宮から宇佐山に上がって行くと、宇佐八幡宮があります。
近江神宮から歩いて10分ほどのところに、この石碑があります。
ここからさらに山道を上って行きます。
鳥居が見えてほっとしたのですが、ここからの登り道がきつかった~(^_^;)
しばらくすると、この門が見えてきます。
参道の途中に、霊泉(金殿井)があります。
天智天皇の病気を治したといわれています。
更に進むと、舞殿、拝殿、本殿が見えてきます。
宇佐八幡宮は、1065(治暦元)年、源頼義が宇佐神宮(大分県)を勧請して創建しました。
近くに頼義の屋敷があったといいます。
宇佐八幡宮は、土地の氏神、子供の守神・むし八幡として親しまれています。
八幡宮からさらにのぼっていくと宇佐山山頂に1570年織田信長が森可成(森蘭丸の父)に命じて造らせた宇佐山城跡があるそうです。
信長が京都へ退却した後、森可成は、坂本(大津市坂本)で戦死。浅井・朝倉軍は、宇佐山城に迫りましたが、武藤五郎右衛門らにくいとめられ、その後、信長は、浅井・朝倉軍が逃げ込んだ比叡山延暦寺の焼き討ちを、宇佐山城を拠点にして行ったと伝えられています。(滋賀県歴史散歩参照)
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ここからさらに山道を上って行きます。
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参道の途中に、霊泉(金殿井)があります。
天智天皇の病気を治したといわれています。
更に進むと、舞殿、拝殿、本殿が見えてきます。
宇佐八幡宮は、1065(治暦元)年、源頼義が宇佐神宮(大分県)を勧請して創建しました。
近くに頼義の屋敷があったといいます。
宇佐八幡宮は、土地の氏神、子供の守神・むし八幡として親しまれています。
八幡宮からさらにのぼっていくと宇佐山山頂に1570年織田信長が森可成(森蘭丸の父)に命じて造らせた宇佐山城跡があるそうです。
信長が京都へ退却した後、森可成は、坂本(大津市坂本)で戦死。浅井・朝倉軍は、宇佐山城に迫りましたが、武藤五郎右衛門らにくいとめられ、その後、信長は、浅井・朝倉軍が逃げ込んだ比叡山延暦寺の焼き討ちを、宇佐山城を拠点にして行ったと伝えられています。(滋賀県歴史散歩参照)
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昨年坂本の城跡に歴史街道の見学に行って、お城の跡が森氏だと分かりました。
この山はNHKのアンテナが大昔から立っているのです。大津は後ろの山で、生駒山からの電波が来なかったんです。
日本でかなり早いうちからUHFの電波を出しました。それが宇佐山だったからですわ。
山城めぐりにまた行きますわ。
ここは、下調べなしで行ったため、宇佐山城跡がその上にあることを、後になって知りました。
また近くに行く機会があったら、次は宇佐山城跡をリベンジしたいと思います(#^.^#)
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/a6ce5f06b3d7ed9832f3cee021aed43e
その中で、八幡神社の総本宮を訪ねたのが次の記事です。(大分県) ↓
http://blog.goo.ne.jp/iinna/e/a4e10babc702a6159fc2b4e0cf54c49f
こちらの滋賀県の宇佐八幡宮は、歴史にいろどられていますね。 (しずか)さん宅は、まさに「歴史街道」です。
今年は、出雲大社に参拝しましたが、機会があれば、八幡宮の総本宮である大分の宇佐八幡にも参拝してみたいです。