goo blogのサービス終了に伴い、はてなブログへ移行することにしました。
タイトルは、変わらず「日々史跡めぐり」です。
https://shizuyashizu.hatenablog.com/
引き続き応援よろしくお願い致しますm(__)m
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彦根城の西側にある圓常寺は、1611年(慶長16年)井伊直孝が母の菩提のため建立したお寺です。
直孝は初代・井伊直政を引継ぎ、彦根城を完成させた第2代彦根藩主です。
ご本尊は快慶作の阿弥陀如来立像。
快慶作の仏像は滋賀県内に石山寺の大日如来坐像と2体しか現存してないとのこと。表面に施されてていた漆や下地がはく落し、木材の損傷も進行していたことから、2013年から修理が行われたそうです。(滋賀彦根新聞より)
鐘楼
また、境内の閻魔堂には13体の仏像が1安置されています。
直政の次男である2代藩主・井伊直孝は大変信心深い方で、井伊直政の法事の毎に大信寺に参詣されたといわれています。
万治2年(1659)に死去。
遺骸は世田谷の豪徳寺に葬られましたが、直孝の歯骨の一部が、大信寺の御廟に祀られています。
歯のお墓としては随分立派な御廟です!
地蔵堂
本堂平成大修復記念の瓦
こちらにも井伊家の家紋が見えます。
彦根の夢京橋キャッスルロードから少し入ったところにある大信寺の創建は、井伊直政が開いたのが始まりと伝えられています。
直政は、天正18年(1590)の徳川家康の関東移封に伴い、高崎城主になっていましたが、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの戦功により、佐和山城主となり、慶長8年(1603)、現・群馬県高崎市の大信寺の住職・照誉和尚が現在地を寺領として大信寺を建立。
元禄6年(1693)、元禄14年(1701)の大火により全焼しますが、元禄から寛永年間に5代藩主・井伊直通が本堂を再建しています。
本堂
山門の両脇の石垣は、彦根城の残石を利用した牛蒡積みで築城時のものだといいます。
観音堂
広隆寺を見学し、太秦映画村に向かって歩いていた途中に通りかかった大酒神社。
気になったので、覗いてみることに。
広隆寺を創建した秦河勝を祖神とする秦氏の神社なのですね。
大酒神社は、仲哀天皇の頃、秦始皇帝の子孫の功満王(くまおう)が来朝し、「秦始皇之祖神」を勧請したたのが始まりとされています。
秦の始皇帝と聞いて、真っ先にキングダムの嬴政を思い浮かべました(^^ゞ
祭神は、秦始皇帝、弓月君(ゆづきのきみ)、秦酒公(はたのさけのきみ)、呉織神(くれはどりのかみ)、漢織神(あやはどりのかみ)。
現在は広隆寺の東隣にありますが、明治の神仏分離以前は、広隆寺の桂宮院内に鎮座していたとのこと。