日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡を巡っています

東大寺南大門

2017-02-23 | 仏閣
東大寺南大門



国宝の南大門は、平安時代の応和2年(962年)8月に台風で倒壊後、鎌倉時代の正治元年(1199年)に復興されました。

東大寺中興の祖である俊乗房重源が中国・宋から伝えた建築様式といわれる大仏様を採用した建築。

左右には金剛力士像を安置。





この辺りは、いつ行っても修学旅行生や海外からの観光客で混んでいますね。




鏡池は水面に写る東大寺や秋の紅葉の美しさで人気のスポットになっています。











鹿と紅葉も絵になります。





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東大寺三昧堂(4月堂)~戒壇堂

2017-02-12 | 仏閣
三昧堂(4月堂)


東大寺の三昧堂は、「法華三昧会」が旧暦の4月に行われるため、一般には四月堂と呼ばれています。

また、元は普賢菩薩像を本尊としていたとされ、普賢三昧堂とも呼ばれています。

創建は、1021年(治安3年)あるいは1067年(治暦3年)といわれています。

現在の建物は、1681年(延宝9年)の墨書銘があり、鎌倉、室町期の古材を用いて立て直されたとも考えられているそうです。
堂内には、本尊千手観音(重要文化財)や阿弥陀如来像(重要文化財)が安置されています。



戒壇堂


754年(天平勝宝6)、聖武上皇は光明皇太后らとともに唐から渡来した鑑真から戒を授かり、翌年、日本初の正式な授戒の場として戒壇院を創建されました。



戒壇堂・講堂・僧坊・廻廊などを備えていましたたが、江戸時代までに3度火災で焼失、戒壇堂と千手堂だけが復興されました。

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東大寺法華堂(三月堂)

2017-02-05 | 仏閣
法華堂(三月堂)は、東大寺建築のなかで最も古く、寺伝では東大寺創建以前にあった金鍾寺(きんしょうじ)の遺構とされています。



752年(天平勝宝4)の東大寺山堺四至図(さんかいしいしず)には「羂索堂(けんさくどう)」とあり、不空羂索観音を本尊としています。

旧暦3月に法華会が行われるようになり、法華堂、また三月堂ともよばれるようになりました。

法華堂が位置する東方丘陵部の一画を「上院」と呼びます。

正堂は寄棟造、平入り。礼堂は入母屋造、妻入り。
もとは寄棟造りの正堂と礼堂が軒を接して建つ配置でしたが、鎌倉時代、礼堂を入母屋造りに改築して2棟を繋ぎました。
正堂は天平初期の建築、礼堂は大仏様の特色が見られる鎌倉時代の建築です。

東大寺では、治承4年(1180年)の平重衡の兵火と、永禄10年(1567年)の三好・松永の兵乱とにより、創建当時の建物の多くが失われました。
東大寺に現存する奈良時代の建物は転害門(てがいもん)と本坊経庫などの校倉がありますが、奈良時代建立の仏堂で現存するものは法華堂のみであり、貴重な建築物とされています。



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東大寺二月堂

2017-01-26 | 仏閣
二月堂は、東大寺大仏殿の東方、坂道を上り詰めた丘陵部に位置しています。



本尊は、十一面観音。







東大寺は治承4年(1180年)の平重衡の兵火と、永禄10年(1567年)の三好・松永の兵乱とにより、創建時の建物の大部分を失っていますが、二月堂はこれらの兵火では類焼を免れました。
しかし、寛文7年(1667年)2月13日に失火で焼失。
現在の二月堂は、寛文9年(1669年)江戸幕府の援助を得て再建されたものです。















二月堂で毎年行われるお水取りは、正確には「修二会(しゅにえ)」といいます。
例年、3月1日から14日まで本行が行われます。
奈良時代から続く伝統行事で、752年以来、途絶えたことがないそうです。
お水取りは、東大寺を開山した良弁(ろうべん)の高弟、実忠が始めたとされています。
旧暦の時代は2月1日から実施されていたため、二月に修する法会「修二会」と名付けられました。





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手向山八幡宮(奈良)

2017-01-17 | 神社
手向山八幡宮(手向山神社)は東大寺三月堂の正面にあります。



天平勝宝元年(749年)、東大寺及び大仏を建立するにあたって宇佐八幡宮より東大寺の守護神として勧請されました。



八幡宮からの分社では第一号で、当初は平城宮南の梨原宮に鎮座し、後に東大寺大仏殿南方の鏡池付近に移座。



治承4年(1180年)の平重衡による戦火で焼失。



建長2年(1250年)に北条時頼が現在地に再建しました。

創建以来、東大寺に属しその鎮守社とされてきましたが、明治の神仏分離の際に東大寺から独立しました。



手向山の山麓にあり、紅葉の名所としても知られています。

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