日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

掛川の平将門十九首塚(1)東光寺と成田山

2013-10-13 | 平将門
今まで東京の平将門の史跡を巡って来ましたが、私の地元から車で約1時間のところにも、将門ゆかりの史跡があることを知って出かけて来ました。

静岡県掛川市の東光寺にある十九首塚を紹介します。

天慶3年2月14日、平将門を滅ぼした藤原秀郷は、将門、家臣19人の首級を持って京に上る途中、京からの検視役と掛川で出会いました。
秀郷は、小川で将門たちの首を洗って橋にかけ、検視を受けました。朝廷の使者は、検視が済むと首を捨てるよう命じましたが、 秀郷は、「将門は、逆臣とはいえ、名門の出である。その屍に鞭打つことはしてはならない。」と言い、 十九人の首を別々に埋葬して、丁寧に供養しました。

東光寺の山門


石碑に成田山遥拝所の文字が見えます。





東光寺は、明治10年に成田山心勝寺より不動尊を勧請して祀り、大正時代に遠州で唯一の遙拝所として認可されたそうです。

東光寺と成田山の由来

1.醫王山東光寺
当寺は、掛川市十九首町にある曹洞宗の小本寺であります。起源は、養老(720年代)行基菩薩が開基、真言宗の草庵でした。この寺の本尊薬師如来は将門の念持仏であり、天慶の乱後(940年)将門等十九人の首級をこの地に葬った時、ここにあった草庵に祀り、平将寺を建立いたしました。天文(1530年代)永江院四世、雪窓鳳積大和尚により曹洞宗に改宗、東光寺と改称しました。その後、兵火により焼失いたしておりますが、慶応3年(1867年)玉澗観嶺大和尚一宇を建て、法地と成し、現在に至っております。

2.成田山(不動明王尊)
東光寺本堂の東側に続いて建てられてある御堂です。将門に関係のある十九首町に於いても当山鎮守として不動尊を祀ろうと明治10年千葉県の成田山新勝寺より勧請し不動堂を建立しました。大正14年8月、堂を増築して別格大本山成田山新勝寺より遠州唯一の遙拝所として認可され、毎月28日を縁日と定め厄除不動尊として信仰を集めています。不動明王は大日如来の化身にて一切の悪魔を隆伏するために忿怒身を現しています。

○家内安全○厄除守護○交通安全○商売繁盛 平成14年3月

本堂


東光寺成田山不動堂


本堂左手より、将門十九首塚へと進みます。

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コメント (4)    この記事についてブログを書く
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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
iinaさんへ (しずか)
2013-10-14 10:56:51
将門伝説、凄い話ばかりですね(~_~;)

橋にまで名前が残っていると、リアリティがあります。
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四方さんへ (しずか)
2013-10-14 10:53:54
さすが読書家の四方さん!

この話もご存じでしたか
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生々しい (iina)
2013-10-14 08:48:24
>伝承では、将門の首級は平安京まで送られ東の市、都大路で晒されたが、3日目に夜空に舞い上がり故郷に向かって
飛んでゆき、数カ所に落ちたとされる。伝承地は数か所あり、いずれも平将門の首塚とされている。
ウィキペディアには、上のように説明していましたから、東光寺の十九首塚は、将門伝説のひとつなのですね。
将門と家臣の19人の首級とは、生々しくて本物らしい響きがあります。

むかしは、鶴を折り紙できましたが、いまは覚えていません。いまは様ざまな折紙が工夫されて折れるようです。
返信する
平将門の首! (willytsuguoshikata)
2013-10-14 08:13:20
>平将門を滅ぼした藤原秀郷は、将門、家臣19人の首級を持って京に上る途中、京からの検視役と掛川で出会い!云々!この話どこかで読んだこと思い出しています!
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