本多忠豊は、徳川四天王の一人、本多忠勝の祖父にあたります。
1544年(天文13年)9月、安祥城は、織田信長の父・織田信秀に支配されました。
安祥城を奪還するため、岡崎城の徳川家康の父・松平広忠は、1545年(天文14年)9月、上条西で織田軍と交戦。(第二次安祥合戦)
織田軍の援軍によって挟み撃ちにされ、敗北した松平広忠を逃がすため、殿軍(しんがり)を務めて討死したといわれています。
三河国乗子の大中寺に葬られ、後に妙源寺に改葬されました。
墓碑は、討ち死にしたと考えられる場所に建立されています。
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