蓮成寺が現在地の彦根市栄町に建立されたのは1602年のことで、蓮成寺の前身は石田三成の居城・佐和山城にありました。
1559年、当時の城主・磯崎丹波守員昌(かずまさ)が織田信長の命により法華丸を建立したのが始まりです。
佐和山城主は、丹羽長秀、堀秀政、堀尾吉晴、石田三成となり、関ヶ原の戦いで三成が敗れると、法華丸も廃寺となりました。
その後、井伊直政の命令により現在地に蓮成寺として、かつての彦根城外堀を背に建てられました。
蓮成寺の正面側には、彦根藩の足軽屋敷が立ち並び、檀那寺である蓮成寺とともにともに彦根城を守っていましたが、1741年に起きた彦根城東中島(現在の馬場一丁目)から出火した火災により焼失。
当寺に祀られている鬼子母神の信仰篤かった彦根藩主の奥方より寄進された用材などにより、1743年から1746年頃に再建されたものと考えられているそうです。(蓮成寺HPより)
昭和59年に本堂の大屋根の吹き替えを行った際、降ろされた大軒瓦には寛保三歳(1743年)の銘が、又庫裡の屋根ふき替えの際に降された軒瓦には享延3年(1746年)の銘があり、このころ再建されたものと考えられています。
蓮成寺には日蓮大聖人御真筆と伝えられるお曼荼羅があり、石田三成公が念持仏としていた鬼子母神と十羅刹女が祀られています。
普段は非公開ですが、4月8日及び9月8日に御開帳され、祈願及び法要が行われています。