法華堂(三月堂)は、東大寺建築のなかで最も古く、寺伝では東大寺創建以前にあった金鍾寺(きんしょうじ)の遺構とされています。
752年(天平勝宝4)の東大寺山堺四至図(さんかいしいしず)には「羂索堂(けんさくどう)」とあり、不空羂索観音を本尊としています。
旧暦3月に法華会が行われるようになり、法華堂、また三月堂ともよばれるようになりました。
法華堂が位置する東方丘陵部の一画を「上院」と呼びます。
正堂は寄棟造、平入り。礼堂は入母屋造、妻入り。
もとは寄棟造りの正堂と礼堂が軒を接して建つ配置でしたが、鎌倉時代、礼堂を入母屋造りに改築して2棟を繋ぎました。
正堂は天平初期の建築、礼堂は大仏様の特色が見られる鎌倉時代の建築です。
東大寺では、治承4年(1180年)の平重衡の兵火と、永禄10年(1567年)の三好・松永の兵乱とにより、創建当時の建物の多くが失われました。
東大寺に現存する奈良時代の建物は転害門(てがいもん)と本坊経庫などの校倉がありますが、奈良時代建立の仏堂で現存するものは法華堂のみであり、貴重な建築物とされています。
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752年(天平勝宝4)の東大寺山堺四至図(さんかいしいしず)には「羂索堂(けんさくどう)」とあり、不空羂索観音を本尊としています。
旧暦3月に法華会が行われるようになり、法華堂、また三月堂ともよばれるようになりました。
法華堂が位置する東方丘陵部の一画を「上院」と呼びます。
正堂は寄棟造、平入り。礼堂は入母屋造、妻入り。
もとは寄棟造りの正堂と礼堂が軒を接して建つ配置でしたが、鎌倉時代、礼堂を入母屋造りに改築して2棟を繋ぎました。
正堂は天平初期の建築、礼堂は大仏様の特色が見られる鎌倉時代の建築です。
東大寺では、治承4年(1180年)の平重衡の兵火と、永禄10年(1567年)の三好・松永の兵乱とにより、創建当時の建物の多くが失われました。
東大寺に現存する奈良時代の建物は転害門(てがいもん)と本坊経庫などの校倉がありますが、奈良時代建立の仏堂で現存するものは法華堂のみであり、貴重な建築物とされています。
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