形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

昭和30年代の多摩川(2)

2012-01-23 14:01:06 | 昭和の頃

多摩川には、別の楽しみもあった。
土手のいたるところに捨てられた、どこかの工場の雑多なゴミの中から、
宝物をみつけることだった。 今なら不法投棄とされてしまうだろうが、
その頃の多摩川の土手は、零細工場のゴミ捨て場みたいなものだった。
ペンキの空き缶の山から、何に使うのかわからない部品のようなものまで、
いろいろなものが大量に捨てられていた。

土手を歩いていると、ガラスのレンズが、小山のように捨てられている
こともあった。 レンズ工場が捨てたものだ。 私たちは喚声をあげて
走り寄り、いいレンズだけ拾い集め、ズボンのポケットいっぱいに詰め
込んだ。

大小の凹凸レンズの中には、いろいろな大きさや厚さのものがあった。
ぶ厚い小さなレンズ、きっと顕微鏡のレンズだよ!
大きいのは天体望遠鏡のかな?
レンズの一つ、一つに私たちは想像をめぐらせた。

使いみちの見当がつかないものも、ずいぶん捨てられていた。
その一つに、大人になってもずっと持っていたものがある。
それは石膏を固めたような、7、8センチぐらいの厚さの石を磨いて、
その表面に銅版画のような微細な線で彫られた、野ウサギの細密画だった。
本職が描いたような絵で、石の端はあちこち欠け、三分の一は割れて
無かった。 インクをのせて版画のように使うのか、そのまま置物に
するのかまったくわからなかった。 眺めては首をかしげ、捨てるに
捨てられず、今の所に引っ越すときに失くすまでとっていた。

男の子たちの家の、机の引き出しには、だいじにしている宝物を入れて
いる場所が、たいてい一つはあった。 友達の家に遊びにいくと、
引き出しを開けて宝物を見せてもらったし、私も見せていた
私のは多摩川で拾い集めた、わけのわからないガラクタや、沢山のレンズ、
メンコ、ビー玉、セミの抜け殻などだった。


形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/


[ 警告 ]当ブログ内に掲載されているすべての文章の無断転載、転用を禁止します。すべての文章は日本の著作権及び国際条約によって保護を受けています。Copyright 2008?2009 shinso koisikawa. All rights reserved. Never reproduce or replicate without written permission.


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 昭和30年代の多摩川(3) | トップ | 昭和30年代の多摩川(1) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

昭和の頃」カテゴリの最新記事