形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

昭和30年代の多摩川(3)

2012-01-21 18:32:05 | 昭和の頃

小学校高学年から中学生の頃には、多摩川の水は黒いほど澱むように
なった。 日本の高度成長期の頃である。 川の近くに立ち並ぶ工場群は、
巨大な煙突からモクモクと黒い煙を吐き出し、工業排水をそのまま川に
流していた。

ときどき大量の鯉やフナなどの魚が白い腹を見せ、黒い水の中をゆっくり
川下に向かって流されていくのを見た。 子どもたちは好奇心でそれらの
死んだ魚を網ですくったりしていたが、誰も食べようなどという気は起さな
かった。 それほど多摩川の水は汚れ、ドブのような悪臭がしていた。

家に下宿していた大学生のいとこに、日曜日、多摩川に遊びに連れて
いってもらい、一緒にボートに乗ることがあった。 オールが跳ね飛ばす、
汚れた水が口に入ると、慌てて吐き出していた。 多摩川大橋のあたりでは、
釣りをする人もいなくなっていた。

あれから四十年近くたち、テレビで多摩川に鮎の稚魚がもどってきたのを、
水中カメラが写していた。 あの黒い水の記憶が強く残っていたので、
自然の押し流していく力の凄さに驚かされた。


形之医学・しんそう療方 東京小石川
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