形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

九月の海

2012-09-18 16:48:56 | Weblog

八月の海辺。 
かげろうが燃え立ち、烈しい光に満ちている。
九月、光はその密度を拡げ透明になる。
潮騒もやがて、遠い海鳴りにかわる。


『 
   それは九月。 夏の終わり。 
   理由もなく、悲しみが湧きあがってくる時季だった。 
   長い渚がつづいているが、六人ほどの人かげしかないさびしさだった。 
   子供たちはボール遊びをやめてしまった。
   風が、その吹きすぎる姿に、哀愁を感じさせたからだ。 
   子供たちまでが座りこんで、渚に忍びよる秋の気配を感じていた。

   どのホットドックの屋台も、金色の細板が打ちつけてある。
   カラシ、玉ネギ、肉の匂い、楽しかった夏の思い出をとじこめて、
   いわばそれは、夏を釘付けにした柩(ひつぎ)の列か。 

   戸閉めにする家が一軒ずつふえていった。 
   南京錠がおろされると、外では風がなぶりだし、
   七月と八月につけられた、百万からの足跡を吹き消していった。 
   それが九月。 僕らの足跡のほか、波打ち際に残るものはなかった。    』



                  レイ・ブラッドベリ 「みずうみ」から。
                            (宇野利泰 訳) 
 

からだの形は、生命の器
形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/





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