湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

龍潭寺の花槿

2010年10月20日 | 詩歌・歳時記
関ヶ原の合戦の功績により井伊直政は、浜名湖の北方にある本拠地、井伊谷から、
京を守護する重要地点である、近江の彦根に移封された。初め、佐和山に入城した訳だが、
戦国の世は終わりを告げ、
政策のための城として、金亀山と呼ばれていたその地に、彦根城を築いた訳だ。
そして、井伊谷の菩提寺、龍潭寺も佐和山の麓に、分家として新しく建てられた。

高校時代。佐和山に登り、歩きへめぐり回り、この龍潭寺にも何度座禅を組みに来ただろう。
夏、参道の左手に槿の花の爽やかな白が出迎えてくれる。
そして、治部少輔三成の銅像が、気分をしゃんとさせてくれる。木立に囲まれた参道を行く。
枝垂れ桜、沙羅の木、梅もどき、四季折々の木の花が迎えてくれる。
                                
縁に胡座して、枯山水の庭を観る。
きれいに筋目をつけられた砂が海の波を現す。ほぼ中程の島が「補陀楽山」。石の観音が佇む。
右手の船石に乗って来られた訳だ。風が渡り、頭上高く鳥の鳴き声。時の流れがたおやかだ。

奥の座敷の右側に、もう一面の池泉の庭があり、
佐和山を借景とした小高い丘に、やはり石組の仏が点在している。
若僧の造園学の修行の庭であるそうな。造園にも仏法の理りが必要、必然なのである。
反対側の内庭には、沙羅の木が五月のライト・アップを待ちながら、百日紅の古木と並び立つ。
                                                                            
忙しない世間から外れて、ここの庭を見ていると、いつしか無心になる。
そして突然のように、詩歌が湧いてくるのだった。

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