世界中のどこかで、必ず上映されていると言われる、映画「風と共に去りぬ」を
初めて観たのは、24歳。 大阪の香里園から京都の三条へ妻と遠征した。
その前に、熱く語る妻の影響で、分厚い原作を3日三晩かけて読みきったのだった。
原作にも映画にも圧倒された。そこには、まさしく若く苦悩する私が裏映しであった。
古い良き時代の秩序に、美しさを感じ、それに殉じようとする、ヒロイン、スカーレットの
許婚、アシュレ。 正反対に、新しい世界に雄々しく立ち向かう、船長・バトラー。
大正の世に生を受けた、両親に育てられた私は、青春の入り口までは、まさしく
「アシュレ」だった。 15歳、西郷輝彦を知った。詩歌に目覚め、作詞家たらんとした私。
観音ゆ弥生の天地まとひけり
そして、ビートルズ!! その時、体内に流れる血汐のなかに、レット・バトラーを意識したので
あった。 スカーレットのように、アシュレか? バトラーか? そのせめぎ遭いに幾度苦しんだ
だろうか。そして、忘れられない女性、メラニー。 古いものと新しいもの。
そのふたつの世界をバランスよく歩いていける人は、天分を与えられた人なのだろう。
けれど、私は選ばなければならなかった。
家出の真似事もした挙句、西郷輝彦の歌に励まされて、古い鎖を断ち切って、夢の階段を
登り始めたのだった。
幻のわが故郷よほたるいか
「風と共に去りぬ」の最期のシーンを、いつも思う。 このこぶしの中につかんでいるのは、
「夢」である。 夢を忘れないかぎり、真っ直ぐに生きていける。
極上の映画であることだ。
彦根城・大手門橋
春浅し海の碧りは肺をそめ
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