湖の子守唄

琵琶湖・湖北での生活、四季おりおりの
風景の移り変わり、旅先でのふれ逢いなど、
つれづれなるままに、語りたい。

風と共に去りぬ

2012年04月05日 | 詩歌・歳時記

世界中のどこかで、必ず上映されていると言われる、映画「風と共に去りぬ」を

初めて観たのは、24歳。 大阪の香里園から京都の三条へ妻と遠征した。

その前に、熱く語る妻の影響で、分厚い原作を3日三晩かけて読みきったのだった。

原作にも映画にも圧倒された。そこには、まさしく若く苦悩する私が裏映しであった。

古い良き時代の秩序に、美しさを感じ、それに殉じようとする、ヒロイン、スカーレットの

許婚、アシュレ。 正反対に、新しい世界に雄々しく立ち向かう、船長・バトラー。

大正の世に生を受けた、両親に育てられた私は、青春の入り口までは、まさしく

「アシュレ」だった。 15歳、西郷輝彦を知った。詩歌に目覚め、作詞家たらんとした私。

          観音ゆ弥生の天地まとひけり

そして、ビートルズ!! その時、体内に流れる血汐のなかに、レット・バトラーを意識したので

あった。 スカーレットのように、アシュレか? バトラーか? そのせめぎ遭いに幾度苦しんだ

だろうか。そして、忘れられない女性、メラニー。 古いものと新しいもの。

                        

そのふたつの世界をバランスよく歩いていける人は、天分を与えられた人なのだろう。

けれど、私は選ばなければならなかった。

家出の真似事もした挙句、西郷輝彦の歌に励まされて、古い鎖を断ち切って、夢の階段を

登り始めたのだった。

          幻のわが故郷よほたるいか

「風と共に去りぬ」の最期のシーンを、いつも思う。 このこぶしの中につかんでいるのは、

「夢」である。 夢を忘れないかぎり、真っ直ぐに生きていける。

極上の映画であることだ。 

  彦根城・大手門橋                

          春浅し海の碧りは肺をそめ


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