5、6年前、両国の江戸東京博物館で見かけた「熈代勝覧」が大変気に入り、帰りにミュージアムショップで
本を買いました、その「熈代勝覧」が今秋日本橋にお目見え、日本橋三越コンコースに、見に行きました
「熈(かがや)ける御代の勝れたる大江戸の景観」をとくとご覧あれ
さて「熈代勝覧」の絵巻は、紙本著色の1巻からなる絵巻です。サイズは縦約43cm、長さ12,30m
うち見返し幅が1,26m、図の部分が10,55mあります。(ここのは大きくなっています)
ここ神田今川橋から始まりおよそ7丁(760m)
日本橋までの大通りの西側、すなわち江戸城側の日本橋通りを東側から俯瞰する構図で描いています
そこを行き交うのは、1671人の男と女と子ども、そして犬24匹、馬13頭、牛4頭、猿1匹、鷹2羽描かれている
(左) 青物土物の立ち売り 後ろの店は乾物屋(八百屋)紙問屋(越前屋)そして室町1丁目用水桶
(右)ただいま普請中「普請の内、蔵にて商買仕り候」とかかれた下げ札、どんぶり腹掛けに股引姿もいなせな鳶の衆、
木遣りを歌いながら地固めの真っ最中、大八車で運んでいるのは、礎石にする切石 (小道具問屋 木屋)
(左)中心の4人連れ 回向院本堂再建勧進(箱に文化二年銘)
(右)牛車で運搬 江戸では馬はお武家の乗り物、荷を引くのはもっぱら牛か人間、京では天上人を載せた牛車も
江戸では力役、ゆっくりと宅配便的活躍。
巡礼二人と花見弁当を持った行楽の一行。
(左) 女独りの引っ越し 火事で焼け出される事も多い江戸、身軽な引っ越しは日常茶飯事、狭い長屋暮らしでは
所帯道具といってもこんなもの、自分の身の丈に合わせてどんどん住まいを替える、都会暮らしの自由さ。
(右) 絹紬木綿問屋(井ます・上総屋)本石町二丁目入り口
右下 あやしい金貸し、笠と杖がどこかいかがわしい男、日掛けの金貸し、今でいうサラ金か高利貸し、
袈裟掛け姿から察するに、お堂をつくる名目で金を集め、それを利殖して金貸しをする、ヤミ金融の坊主か、
右角に少し見える手は、「人の弱みにつけこんでると仏罰があたるぞ」と指さすお武家の手。
(左)自身番と鳶(右端)自身番詰めのとび職は、町雇いの自警団にして町火消し、
揃いの股引に、手に錫杖、夜回りにはシャンシャンと打ち鳴らす、喧嘩と聞けばすっ飛んでいって仲裁、
そのうち自分も熱くなる江戸っ子気質、普段は普請場で、足場の上を飛び歩く。
子の手を引く親心 病気や怪我で死ぬ率が高い時代、子は大切な宝、お七夜で命名、30日目で氏子入りの
初参り、百日目でお食い初め、節目節目で無事な成長を祈る親心。
(右)紅問屋・小間物屋(津金)の前を通るうら若き美女(左下)町行く人から注目を浴びる燈籠鬢を結った美人、
少し前の寛政期から大流行の髪型、手代に下女とお供を4人も連れた、かなりいいとこのお嬢さん。
左上 門付けの坊主2人、踊りながら阿呆陀羅経を読み上げ、寿ぎの芸をする破れ坊主、最下層の聖とはいえ、
験(げん)をかつぐ商人は、おひねりを上げぬ訳にはゆかぬ。
右上 路地裏へ入る按摩 経絡のツボを押さえれば、心身の健康回復に、話術で心を癒す按摩は
耳学問の情報屋、居ながらにして、情報も物もサービスも受けられるというのが都市生活のいいところ。
(左) 地唐紙問屋「丸屋」の看板
粋な虚無僧 黒塗りの下駄を履いたこの虚無僧、喜多川歌麿の絵に出てくるような風情で艶っぽい、
2人一組になっての門付け、「普化宗」という宗派をつくり、尺八を吹いての門付けで布施を集める。
手前は辻駕籠
(右) 春の風物詩、十軒店(じっけんだな)の雛市 本石町の両側に十軒ほどの外売りの仮店が並んだのが言われ、
古くは弥生月の上巳(じょうし)の日に、人形の撫でものを川に流して穢ればらいをしたのが雛祭りの始まり、
内裏雛を飾る大名雛となり、町人文化に定着したのが江戸時代。
縁起物の値段は交渉次第、それが雛市の楽しみ、端午の節句にも人形市が立つ。
(左) 仏具問屋(万屋市太郎)と薬種問屋(俵屋・森野氏)の前
回り髪結い 庶民は浮き世床へ髪結いに、大店の主人や番頭さんともなると、定期的に髪結いが出向く、
歌舞伎でご存知髪結新三ばりのいい男、手に持った紅い箱は、髪結い道具が一式入った鬢盥(びんたらい)
女性は遊女を除いて自分で結髪するか下女にさせた、寛政期に女髪結いが流行したが、天保の改革で禁止、
女性のおしゃれは厳しい時代に。
岩見金山鼠取り(長い旗を持った男)大事な米を食い荒らす鼠には、岩見金山鼠取り 「岩見金山」とは
石見銀山から出るヒセキでつくった殺鼠剤、江戸には犬も多いが、米屋では殺鼠剤代わりに猫も飼った、
とはいえこの通りで姿が見えないのは、猫は貴重品であるため。 正式には石見銀山鼠取り。
(右) 薬種・白粉・陣笠問屋の前
左下4人連れ 外食好きの大家一家 料理通が足を運ぶのは「八百膳」「平清」など。
金に糸目をつけぬグルメ三昧が大流行、ギヤマンのカップで葡萄酒を飲むのは当たり前だった。
呉服屋(三井越後屋)越後屋の用水桶と番小屋(商番屋)立て看板
天下の豪商「三井越後屋」
江戸随一の大店、銅葺きの雨樋、紅殻格子の店構え、手桶を積み上げた天水桶は
いかにも大店の自前。
店先売りの現金決済で儲けた金を元手に両替商も幕府御用も。
大繁盛するきっかけになったのは、「現銀(金)掛け値なし」の商法でした。
日本橋を通る武家の一行と庶民
日本橋はひときわ高いお太鼓橋、見渡せるのは、江戸城、富士山といった江戸の絶景、
橋桁にかかる小さな屋根は、風よけ雨よけのための雨覆い、木橋を保たせるための工夫です
江戸は水の都 日本橋川を見下ろせば屋形船に六挺櫓(はっちょうろ)の高速艇
全国津津浦々から物資の荷揚げです。
日本橋通りに響く賑やかな物売り達の口上、商人の挨拶の声、通りに漂う食欲をそそる匂い
伽羅や油や紅白粉の芳香、南蛮渡来の薬剤、そして麝香白檀の香り、匂い立ち、聞こえてくる
二百年前の町のざわめきと人々の暮らし、興味は尽きません。
ベルリン東洋美術館で発見された絵巻、描いた絵師の署名落款もなく不明だそうです。
発見された経緯などまた紹介出来たらと思います。
本を買いました、その「熈代勝覧」が今秋日本橋にお目見え、日本橋三越コンコースに、見に行きました
「熈(かがや)ける御代の勝れたる大江戸の景観」をとくとご覧あれ
さて「熈代勝覧」の絵巻は、紙本著色の1巻からなる絵巻です。サイズは縦約43cm、長さ12,30m
うち見返し幅が1,26m、図の部分が10,55mあります。(ここのは大きくなっています)
ここ神田今川橋から始まりおよそ7丁(760m)
日本橋までの大通りの西側、すなわち江戸城側の日本橋通りを東側から俯瞰する構図で描いています
そこを行き交うのは、1671人の男と女と子ども、そして犬24匹、馬13頭、牛4頭、猿1匹、鷹2羽描かれている
(左) 青物土物の立ち売り 後ろの店は乾物屋(八百屋)紙問屋(越前屋)そして室町1丁目用水桶
(右)ただいま普請中「普請の内、蔵にて商買仕り候」とかかれた下げ札、どんぶり腹掛けに股引姿もいなせな鳶の衆、
木遣りを歌いながら地固めの真っ最中、大八車で運んでいるのは、礎石にする切石 (小道具問屋 木屋)
(左)中心の4人連れ 回向院本堂再建勧進(箱に文化二年銘)
(右)牛車で運搬 江戸では馬はお武家の乗り物、荷を引くのはもっぱら牛か人間、京では天上人を載せた牛車も
江戸では力役、ゆっくりと宅配便的活躍。
巡礼二人と花見弁当を持った行楽の一行。
(左) 女独りの引っ越し 火事で焼け出される事も多い江戸、身軽な引っ越しは日常茶飯事、狭い長屋暮らしでは
所帯道具といってもこんなもの、自分の身の丈に合わせてどんどん住まいを替える、都会暮らしの自由さ。
(右) 絹紬木綿問屋(井ます・上総屋)本石町二丁目入り口
右下 あやしい金貸し、笠と杖がどこかいかがわしい男、日掛けの金貸し、今でいうサラ金か高利貸し、
袈裟掛け姿から察するに、お堂をつくる名目で金を集め、それを利殖して金貸しをする、ヤミ金融の坊主か、
右角に少し見える手は、「人の弱みにつけこんでると仏罰があたるぞ」と指さすお武家の手。
(左)自身番と鳶(右端)自身番詰めのとび職は、町雇いの自警団にして町火消し、
揃いの股引に、手に錫杖、夜回りにはシャンシャンと打ち鳴らす、喧嘩と聞けばすっ飛んでいって仲裁、
そのうち自分も熱くなる江戸っ子気質、普段は普請場で、足場の上を飛び歩く。
子の手を引く親心 病気や怪我で死ぬ率が高い時代、子は大切な宝、お七夜で命名、30日目で氏子入りの
初参り、百日目でお食い初め、節目節目で無事な成長を祈る親心。
(右)紅問屋・小間物屋(津金)の前を通るうら若き美女(左下)町行く人から注目を浴びる燈籠鬢を結った美人、
少し前の寛政期から大流行の髪型、手代に下女とお供を4人も連れた、かなりいいとこのお嬢さん。
左上 門付けの坊主2人、踊りながら阿呆陀羅経を読み上げ、寿ぎの芸をする破れ坊主、最下層の聖とはいえ、
験(げん)をかつぐ商人は、おひねりを上げぬ訳にはゆかぬ。
右上 路地裏へ入る按摩 経絡のツボを押さえれば、心身の健康回復に、話術で心を癒す按摩は
耳学問の情報屋、居ながらにして、情報も物もサービスも受けられるというのが都市生活のいいところ。
(左) 地唐紙問屋「丸屋」の看板
粋な虚無僧 黒塗りの下駄を履いたこの虚無僧、喜多川歌麿の絵に出てくるような風情で艶っぽい、
2人一組になっての門付け、「普化宗」という宗派をつくり、尺八を吹いての門付けで布施を集める。
手前は辻駕籠
(右) 春の風物詩、十軒店(じっけんだな)の雛市 本石町の両側に十軒ほどの外売りの仮店が並んだのが言われ、
古くは弥生月の上巳(じょうし)の日に、人形の撫でものを川に流して穢ればらいをしたのが雛祭りの始まり、
内裏雛を飾る大名雛となり、町人文化に定着したのが江戸時代。
縁起物の値段は交渉次第、それが雛市の楽しみ、端午の節句にも人形市が立つ。
(左) 仏具問屋(万屋市太郎)と薬種問屋(俵屋・森野氏)の前
回り髪結い 庶民は浮き世床へ髪結いに、大店の主人や番頭さんともなると、定期的に髪結いが出向く、
歌舞伎でご存知髪結新三ばりのいい男、手に持った紅い箱は、髪結い道具が一式入った鬢盥(びんたらい)
女性は遊女を除いて自分で結髪するか下女にさせた、寛政期に女髪結いが流行したが、天保の改革で禁止、
女性のおしゃれは厳しい時代に。
岩見金山鼠取り(長い旗を持った男)大事な米を食い荒らす鼠には、岩見金山鼠取り 「岩見金山」とは
石見銀山から出るヒセキでつくった殺鼠剤、江戸には犬も多いが、米屋では殺鼠剤代わりに猫も飼った、
とはいえこの通りで姿が見えないのは、猫は貴重品であるため。 正式には石見銀山鼠取り。
(右) 薬種・白粉・陣笠問屋の前
左下4人連れ 外食好きの大家一家 料理通が足を運ぶのは「八百膳」「平清」など。
金に糸目をつけぬグルメ三昧が大流行、ギヤマンのカップで葡萄酒を飲むのは当たり前だった。
呉服屋(三井越後屋)越後屋の用水桶と番小屋(商番屋)立て看板
天下の豪商「三井越後屋」
江戸随一の大店、銅葺きの雨樋、紅殻格子の店構え、手桶を積み上げた天水桶は
いかにも大店の自前。
店先売りの現金決済で儲けた金を元手に両替商も幕府御用も。
大繁盛するきっかけになったのは、「現銀(金)掛け値なし」の商法でした。
日本橋を通る武家の一行と庶民
日本橋はひときわ高いお太鼓橋、見渡せるのは、江戸城、富士山といった江戸の絶景、
橋桁にかかる小さな屋根は、風よけ雨よけのための雨覆い、木橋を保たせるための工夫です
江戸は水の都 日本橋川を見下ろせば屋形船に六挺櫓(はっちょうろ)の高速艇
全国津津浦々から物資の荷揚げです。
日本橋通りに響く賑やかな物売り達の口上、商人の挨拶の声、通りに漂う食欲をそそる匂い
伽羅や油や紅白粉の芳香、南蛮渡来の薬剤、そして麝香白檀の香り、匂い立ち、聞こえてくる
二百年前の町のざわめきと人々の暮らし、興味は尽きません。
ベルリン東洋美術館で発見された絵巻、描いた絵師の署名落款もなく不明だそうです。
発見された経緯などまた紹介出来たらと思います。