しなこじダイアリー

日常生活のあれこれ

シェーンブルン宮殿

2013-02-23 07:24:45 | 旅行

                 ウイーン滞在2日目朝、これから4日間息子夫婦と別行動、
                 ウイーンは勉強不足で、夫の体調にも少し不安はありましたが、
                 私たちはウイーン案内の本を持って、観光に出発です。

 

                 

                  ホテル前の景色、地下鉄[U1]の乗り場はすぐ近くでした


             

 

           地下鉄を乗り継ぎ最初の目的地は「シェーンブルン宮殿」です

 

              

             街の中心部リンクの外でシェーンブルン駅は地上駅でした

 

 

   ウイーンで最も観光客が訪れるところ、ハプスブルグ家の夏の離宮、シェーンブルン宮殿
   
   美味しい水が湧き出す「美しい泉 Schoner Brunen」 からシェーンブルンという
                                              名がついたそうです。
                                                               

     16人の子供を生んだ女帝マリア・テレージアによって、今日のような美しい姿となった。
     
     王家を発展させるために戦争ではなく結婚政策にとって版図を広げていった、中でも
     マリア・テレジアの娘マリー・アントワネットは15歳でフランスのルイ16世の妃となった。

 

 

 

               

               「日没なき大帝国」と呼ばれた無敵の王国も、1859年の
               イタリア戦争で敗北して以来、かげりが見え始めてきた。

 

 

      多くの利害関係が入り乱れた結果のひとつとして、1867年オーストリア=ハンガリー
      二重帝国が形成される。  このときの国王はフランツ1世、妃はエリザベート。

      こうして第一次世界大戦に突入し、それに敗れた1918年に崩壊するまで、650年に
      わたって中央ヨーロッパを支配したのがハプスブルグ家です。

 

                   

               ハプスブルグ家最後の皇帝ヨーゼフ1世にひとめ惚れされて
               結婚にいたったエリザベート(愛称シシイ)美貌の皇妃として
               しられる。  写真は星のドレスと呼ばれる舞踏会衣装に身を
               つつむ「皇后エリザベート」

               1837年にバイエルン(南ドイツ)の貴族のもとで生を受け、
               16歳で宮廷に嫁いだ。
               結婚当初は義母ソフィーに鍛えられる日々が続いた、結婚後
               4年間で3人の皇位継承者を生み、美しさにも磨きがかかる。

               

               シェーンブルン宮殿2階見学コースは日本語の音声ガイドを
               借りて自由に見学できました。  (館内写真撮影不可)

               見学コースにエリザベートの化粧室兼体操室があり、吊り輪や
               ハシゴ段などの運動器具もあり、その美貌に老化の兆候が見られ
               始めると、数時間の運動をし、過酷な絶食療法をしたそうです。

               成人してからの彼女のサイズはほぼ一定していた、身長172cm、
               ウエスト50cm、体重50kg、このプロポーションを保つため、
               生涯にわたって毎日運動とダイエットに励んだ。

               61歳でイタリア無政府主義者に暗殺されるまでの人生は、
               多くのエピソードとともに、いまだに語り継がれています。

 

        

            宮殿の横の門を出て春には美しい並木道になると思われる道路を行くと

 

          

               柵の奥は庭園のようでした、雪に覆われて入場できませんが、
               温室や日本庭園、迷路庭園と動物園もあるそうです。

 

        

                   振り返ってみたらなんだか印象的な並木道でした

 

                 

                      途中でこんな停留場を見かけました

 

           

            広大な庭園内を周遊するシェーン・ブルナー・パノラマバーンというSL型の
            乗り物のものでしたが運行されるのは、4~10月のみでした。

 

             宮殿の部屋数は1441室あり、そのうち皇帝や家族の豪華な部屋や
             広間からなる2階部分が公開されています。
             ツアーの種類によって見学できる部分が異なります。

             ハプスブルグ家最後の皇帝カール1世は、ここで1918年に退位文書に
             署名、翌日宮殿はオーストリア共和国のものとなった。

             帰国後いろいろ知りました、行く前にもう少しオーストリアのこと、
             シェーンブルン宮殿のことを調べておくべきだったと思いました。

             寒いシーズンでしたから待たずに入れましたが、季節のよいときには
             数時間待ちなどということもある人気の観光地だそうです。

             地下鉄でウイーンの中心地、リンク内に向います。