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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『飯島晴子』(私的解釈)人形の。

2022-02-15 07:11:35 | 飯島晴子

   人形のできあがる日の冬の川

 人形はジン・ケイと読んで、神、啓。
 できあがる(出来上)はスイ・ライ・ショウと読んで、邃、来、招。
 日の冬の川はジツ・トウ・センと読んで、昵、十、宣。
☆神の啓(教え導くこと)は邃(奥深い)。
 来(こちらに近づき)招いて昵(慣れ親しむ)十の宣(みことのり)がある。

 人形はジン・ケイと読んで、腎、系。
 できあがる(出来上)はスイ・ライ・ジョウと読んで、推、頼、状。
 日の冬の川はジツ・トウ・センと読んで、昵、問う、詮。
☆腎(要)の系(つながり)を推しはかる。
 頼りにする状(ありさま)に昵(近づき)問うと、詮(明らかになる)。

 人形はニン・ケイと読んで、忍、計。
 できあがる(出来上)はスイ・ライ・ショウと読んで、遂、磊、章。
 日の冬の川はジツ・トウ・センと読んで、実、統、専。
☆忍(しのばせた)計(もくろみ)を遂(やりとげる)。
 磊(小さなことにはこだわらない)章(文章)の実(内容)を統(一すじにまとめる)、専(ひたすらに)。


吉川宏志(私的解釈)ガリレオの。

2022-02-15 06:42:02 | 吉川宏志

 ガリレオの鉄球ふたすじにわれと落ちゆくひとの欲しかり

 落下の速さはその重さと無関係である、と彼は言った。(真空排気のガラス容器ならば鉄と綿も同時落下)同じに落ちてゆく人が欲しいという願望(落ちるは堕ちるかもしれない)


 鉄球はテツ・キュウと読んで、綴、究。
 ふたすじ(二筋)はジ・キンと読んで、二、襟。
 われと落ちゆく(我落鵜釣り行)はガ・ラク・コウと読んで、画、絡、考。
 ひとの欲しかり(人欲)はジン・ヨクと読んで、訊、良く。
☆綴(つづり)を究(つきつめる)。
 二つの襟(心の中)を画く。
 絡(すじみち)の考えを訊(問いただすこと)を良く/克く(十分に力を尽くす)。


M『自然の驚異』

2022-02-15 05:59:48 | 美術ノート

   『自然の驚異』

 浜辺の石の台座に座る石化した男女、上半身は魚、下半身は人間である。
 海の彼方には海水で模られた帆船が見える。

 ありふれた景色の中の驚くべき質感を持った事物の景色。自然の法則、物理的条件をことごとく外した帆船と男女の存在。

『自然の驚異』というより、自然への反逆、自然への冒涜である。絶対にあり得ない変化、水は水のみで形を留めることは不可能だという絶対条件がある、水は三態に姿を変えるが意志をもって創造物に化身する術を持たず、水であるしかないのである。

 石という鉱物も然り。地殻変動で形を変えることはあるが、意志をもって形を他のものに模ることは絶対にあり得ず、人という有機物が魚に融合することもない。
 魚になるというのは、〇〇であったならという空想の範囲を出ることのない不条理であり、まして下半身だけが人間の足として模られるなどと言うことは、単にセイレーンという寓話を模したに過ぎない。要するに想像の妙に手を加えたともいえる人智におけるデータの捏造である。

 総ては《否定》から出来ている。可能性の全否定であり、絶対に無い風景を肯定的に描くことで絶対的な自然の条件を逆説的に明確にしている。
《自然》はかくも強固な特異性あるいは単一性を固持するものであるという証明かもしれない『自然の驚異』とは。

 写真は『マグリット』展・図録より