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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

富士山。

2011-12-11 14:41:10 | 日常
 神奈川県立近代美術館葉山では、何と言っても、その景色が愉しみ。富士山が見えればさらに嬉しい。

 そういえば以前のワークショップでお世話になった時、李学芸員に「富士山が見える職場でいいですね」と言ったら、
「ここへ来る前はもっと大きく富士山が見えるところで働いていました」という返事。
「えっ?」
「ええ、静岡県立美術館にいたんです」とのこと。

 その李美那先生が担当の企画展「ベン・シャーン」風格も出て、より素敵な女性になりました。(わたしが言うのもおこがましいけど・・・)

 富士山・・・♪富士は日本一の山♪
 富士山が見えると何故か幸福な気持ちになる!

数年の懸案。

2011-12-11 07:47:45 | 日常
 マグリットのファンだけど、マグリットの作品に見られる言葉の意味が分からなかった。

 もちろん意味は日本語に翻訳されて分かるのだけど、それでも微妙にしっくり分からない気持ちが残っていた。
(誰かに聞こう)いつもそう思って、美術館学芸員の方に尋ねるつもりでいたのに、その度に(マグリット)という画家の名前を思い出せないでいた(信じがたい忘却力)。
(英語でもないし、ドイツ語でもない。ベルギー人だって言うけど、ベルギー語?わたしは知らない)

 昨日、ベン・シャーンの作品を見ていると隣に(確かここの学芸員の、あっ、0先生・・・)

 頭の中でようやく(マグリット)を思い出せたので、聞いてみたら「フランス語です」とのこと。
(フランス語の辞書、家にないなぁ・・)


「じゃ、『パイプではない』というのも・・・」
「ペラペラペラ・・」とフランス語で即答。(だから、いやなんだよ)

 まったくパイプなんて英語だと思っていたよ。まぁ、とりあえず分かって良かった。ここ数年の懸案(こんなことがね)。

昨日の講演。

2011-12-11 06:59:39 | 美術ノート
 飯沢耕太郎氏の講演(神奈川県立近代美術館葉山)は興味深かった。写真は撮っても、プロの写真には関心が薄かったわたし。
 写真の本髄に触れるセンスに欠けていたのかもしれない。

 写真と絵・・・ありのままと作為という短絡はアーテストにとっては許されざる緩慢な感想である。

 氏の講演を聴いているうちに、手ぬるい視覚を持って世界を眺めていることへの恥ずかしさが頭をもたげた。

 絵画作品はむしろ写真の代用品だったと言えなくもない。
 基本は刺激を受けたオブジェクトへの眼差しである。それを伝達する手段として、二次元(平面)に収めるという行為が写真であり、絵画作品というわけならば、条件は等しい。

 写真は瞬間的に対象を切り取るけれど、絵は時間を要する。その作業の中で画家は自身のメッセージを思案する。思案が作風や世界観を提示して鑑賞者を惹きつけていく。

 絵には作者の意図が見えるけれど、写真には夥しい情報が見え隠れする。その切り取られた光景の中には瞬時の秘密を暴露し、告発する動かぬ証拠としての事実がある。


 飯沢耕太郎氏の言う接点あるいは融合は、確かに有る。有るべきである。
 古くて新しい課題かもしれない。

 ただ、考える前に、本能的に行動する無作為な素人であるわたし・・・道は遥かに遠い。

『城』681。

2011-12-11 06:30:15 | カフカ覚書
「なんですって」と、Kは、怒りというよりも好奇心に刺激されて、一種の放心状態から目をさました。

 怒り/Arger→ergehen/安否、消息、近況。
 一種の/gewissen・・・良心。
 放心状態/zerstrent→zerstampfen/踏みにじる。
 目をさました/aufwached→aufwallen/(怒りなどが)こみ上げる。

☆「なんですって」と、Kは、近況(消息)よりも好奇心に刺激され、先祖の良心を踏みにじられたことで怒りがこみ上げた。