Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

[翻訳]遊びと遊びの理論

【翻訳】これまでの遊びと遊び理論

 子どもの遊びは、どの時代であってもどの文明であっても、誰もが見向きもしないほど、あまりにも当たり前の出来事とされていた。子どもの遊びは、文学の中で描かれ、造形芸術の中で描写されている。すでにエジプトの古帝国の最も古い絵の中でも、人形やおもちゃの動物やボールや押し車などが描かれていた。こうした絵の中では、ダンスをする子どもや、飛び跳ねる子どもや、みんなでジャンプをし合う子どもや、取っ組み合いのケンカをする子どもたちがいたことが示されている。さらには、劇のワンシーンを再現する子どもや、マスクを被る子どもなども示されている(ブルーナー、1957)。子どもの遊びは、明らかに、すでにその当時からただ単に許容されていただけではなく、又生活様式として示されていただけでもなかった。子どもの遊びは、完成された遊び道具やその他の備品などと同様、[皆に]支持されていたのである。前産業化社会では、子どもたちも直接大人たちの遊びに加わっていた。又同様に、子どもたちの生活全般も、日常生活や大人たちの労働の中に埋め込まれていた(アリエス、1975)。産業化時代になって遂に、この共同性(Gemeinsamkeit)が断ち切られることになる。それから、産業化時代の目前に、近代の教育学的反省も生まれた。すなわち、「子どもたちにとって何がよいことなのか?」、「もし子どもたちが自分たちの親と日常を共に生きないとするならば、子どもたちは[その間に]何をすべきか」、と。子ども、子どもの欲求、子どもの発達などが、新たに注目されるようになった。「子ども性(子どもらしさ;Kindheit)」は、もはや自明の目立たないもの、つまり若い世代と共なる単なる共同生活(Mitleben)に留まらず、さらに、それは、思考の対象となり、意識的に配慮されるものになった。子どもたちを教え保護する施設が一般的なものになった。以前は周辺公務職-中間公務職として任務を果たしていた教育職は再編され、この職に就くための専門的な職業教育が必要となった。そして、子どもたちが日常の一部を過ごすことになるこの施設の中で、学習のみならず、保護や、大勢の子どもたちに関わっていく、という新たな問題も浮上した。これらすべてのことが、教育学、あるいは新たな制度に対する教育教授を求めるものとなった。

 これは、18世紀に始まり、今日に至るまで未だに終わっていない長いプロセス―子どもたちがますます注目され、またその注目を必要とする社会の発展―である。またこの連関の中で、子どもの遊びに対する強い関心が生まれ、そして、<遊び>という現象全般への深い反省(研究)が生まれるのである。

 その際、子どもの熱中、遊びの喜び、遊びを完璧に究めようとする時の子どもの粘り強さ(Unermüdlichkeit)などに関心の目が向く。もし子どもたちがボール遊びや竹馬乗り、玉投げやビー玉遊びをしている時のようにどこまでも熱心に練習をして、夢中になってどこまでもさらにより良くしようとして、その際に彼らが休むことなく学んで訓練できるというならば、なぜその彼らの情熱や粘り強さをもっと良いことのために、例えば、読み書きや計算やそれ以外の学校の学習目標のために、使うことができないのだろうか? なぜ学校はそもそも強制(Zwang)から成り立ち、遊びから成り立たないのか? 昔の考え方であるが、既にラテン語において、遊びと学校(とりわけ低年齢の子どもたちの学校)という二つの意味をもった「ルードゥス(ludus)」という言葉がある。この関連は、歴史の流れの中で、「ヒューマニズム」が学習と学校についての思考(Nachdenken)を規定する時に、何度も思い出された。「人間」は、学校であり、学校の仕事であらねばならない、つまり、強制とむちで子どもたちに知識を強いてはならない、そうではなく、喜びと朗らかさをもって、子どもたちが自らしたいと思うものを用いるべきである、それはつまり、とりわけ、遊びを用いてすべきである、ということだ。このことは、ロッテルダムのエラスムスやヨハナ・アモス・コメニウス、又ジョン・ロックや博愛主義者たちが言表したことであった。それは、「啓蒙主義」の中で一貫した考え方であり、今日のわれわれにとっても周知の学校理論の考え方である。なぜ子どもの遊びの喜びを学習の和らぎや緩和のために用いないのか? 無論、批判者たちは、学校で子どもたちが為すことをそもそも遊びと言ってしまってよいのか? 遊び自身それ自体から離れることなく、もろもろの遊びを遊び以外の目的のために用いることなどできるのか? 遊びの自由こそが遊びの本質ではないのか、もっと言えば目的の不在が遊びの本質ではないのか? と問うてこよう。

ルソー

 子どもや子どもの遊びに対する人文主義的-啓蒙的な見方の発展の中に、ジャン・ジャック・ルソーの教えが入り込んできた。それは、遊びの利用価値に関する前支配的な意見、又われわれによく慣れ親しまれた考え方を揺さぶる地震のような感じで、入り込んできたのだ。ルソーの「エミール」ほど、扇動的で持続的に子どもの教育の議論や実践を揺さぶった世界文学作品はなかった。そして、教育に関する哲学的思考にこれほど影響を与えた書物はなかった。だが、彼の思索はそう簡単に理解することはできない。彼の論述はしばしば矛盾しているし、小説的な記述になっているので、この作品のほとんどが教育の提言としては読めないのである。しかし、今日まで響き続けるメッセージの一つはすぐに理解することができる。このメッセージこそ、子どもの理解、もっと言えば人間の本性についての理解に革命を与えたものであった。すなわち、子どもを理解することはできない。そして、いつ日か子どもから大人にならねばならないという観点で子どもを扱ってはならない、というメッセージだった。子どもは「小さな大人」ではない。幼児期は、本来の人間存在になるための通過段階ではない。そして、大人たちには、子どもたちの本来の幸せや晩年の幸せに役立つような指示を与えることで子どもを不幸にする権限などないのである。子どもは、最初から、-長い時間をかけてようやく成るような人間としてではなく-全体的な人間として見るべきなのである。子どもは、幸せを求めているし、生きることを要求している。子どもは喜びや悲しみを知っている。そして、当然大人と同じようにこうした中で受け入れられるべきなのである。したがって、教育は、無理に子どもたちをできるだけ早く完璧に大人にしてはならない。そうしてしまうと、子どもたちの幼児期が奪われてしまうし、また彼らの幼児期の体験を阻んだり、彼らが成熟することを阻んだりしてしまうだろう。こうしたものは、色々な可能性や生活のメッセージという点で幼児期の各段階に含まれているのである。自然がわれわれに示すものや、発達が自ずともたらすものを熟させること、これが教育の課題である。しかし、それらを押し早めたり、無理に催促したりしてはならない。社会の名において、社会が念頭に置きつつも子どもにはない関心のような消化しきれない食べ物を与えてはならない。

 ルソーによってようやく、近代の子ども研究の道が拓かれた。すなわち、子どもの様々な生活年齢(Lebensalter)を子ども自身から理解しようとする研究や、その生活年齢を、(子どもとは)別の、「本来の」人間存在の前段階としてもはや理解しないようにする研究の道が拓かれたのだ。このルソーの区分は、彼以後のあらゆる段階論や時期論と同様、幼児期や青年期の様々な様態を自ずと人間に完成可能な生活形態と見なす補助手段としてのみ評価されるだろう。「誰も真面目に、自己中心的態度によって規定される幼児期と、事物的な関心が発達する少年期と、宗教心や多感さや道徳感などが形成される早期青年期と、愛の経験が中心になる後期青年期の厳密な分離を、時期的に互いに切り離された実際の発達段階とは考えないだろう。それは、ルソーが発達を分析しようとした形式であり、その際もちろん彼は、この特徴(Chrakteristika)がいわゆる発達段階(Entwicklungsstufen)のそれぞれの段階の中に際立っていると確信していた」(Rang1979,S.131)。

 ルソーは、子どもの遊びについて取り立てて独創的な考察をしたわけではないし、(遊びに関する)見解を書き残したわけでもない。だが、彼は、子どもや子どもの行いや表現生活や多感さを人間の生一般に独自の有意義な表現形式と捉えようとする新時代(近代)の人類学の視点から、遊びもまた、子どもの他のあらゆる生の表現と同じように理解され得るのだということの前提を創ったのである。

 なかなか面白いお話だったなぁ~

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