Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

My Dear おじいちゃんの奇跡 

今日は、僕のブログでおなじみのおじいちゃん(母方)の家に来てます! 今回は、うちのお父さんも一緒。おじいちゃんからすると、娘婿と孫がやってきた、というわけです。

おじいちゃんの家は、もう完璧に「ホスピス」状態。99歳で、超末期の皮膚ガンで、耳は全く聴こえず、もういつ死んでもおかしくない状態。末期中の末期。今、こうして生きていることが奇跡なんです。一カ月くらい前に、「余命数週間」と言われていたくらいだから。

前回行ったときに、もうすでにかなり末期の状態だったけど、まだ生きてる。さすがマイおじいちゃん(^O^) 僕のおじいちゃんだもの。そう簡単にはくたばらないよね。僕がこの世の中で最も尊敬している人であり、この人の背中を見て育ってきて、この人に近づきたくて、頑張って勉強した。僕の誇りであり、僕のルーツであり、僕が文章を書き続ける根拠となる人。

でも、前回会った時には、もう、僕のことを「孫」とは認識していなかった(かのように見えた)。今回も、僕のことなど、分からないかなと思いつつ、おじいちゃんに声をかけた。とはいえ、耳は聴こえないので、おじいちゃんの視界に入るところに行き、おじいちゃんを覗き込んだ。最初は、やっぱり、よく分かっていないみたいだった。で、紙に、「やっちゃん(kei)が来たよ。こんにちは」と書いて、それをおじいちゃんに見せた。すると、、、奇跡が起きた。

はっと、何かを思い出したように、『やー、やっちゃん!よく来たね。嬉しいよ』、と言って、笑ったんです!!!( ̄□ ̄;)!!  びっくり。お父さんも、びっくりしていました。ふと夢から覚めたように、僕を思い出し、目が輝き出しました。さっきまで、虚ろな目だったのに、生気に満ちた輝く目で僕を見つめてくれました。

で、僕が『ビール飲む』って筆談して、ビールを見せたら、口を大きくあけて、「あー、あー」と言い出した。本当ならスプーンで少しずつビールを飲ませなければならないんだけど、そこは、「孫」ってことで、あえて缶のまま、口に缶をつけて、ビールを少しおじいちゃんの口に流し込んだ。おじいちゃんは、少し飲みずらそうだったけど、ゴクゴク飲んでくれた。うまく飲み込めなかったけど、頑張って、飲み込んだ。そして、「おいしいね」と一言つぶやいた。嬉しかった。僕もおじいちゃんのとなりでビールを飲んだ。この10年くらい、おじいちゃんと会うと、いつもビールを一緒に飲んでいたし、おじいちゃんとビールは僕にとってはセットだった。

馬好きのおじいちゃんだけど、うさぎの人形しかお店になかったので、それを買ってもっていった。うさぎの人形をプレゼントしたけど、それに関しては、よく分かっていなかった。でも、馬の話はいっぱいしていました。好きなことは、どんなに高齢になっても、忘れないし、いつまでも好きなんですね。好きなことがあるっていうのは、本当に強いと思います。

で、ビールを飲ませていたら、さらに奇跡が起きたんです。

おじいちゃん、ビールを飲みながら、ぽつりと、『我が人生ー…!』と言い出したのです。

ん? と思って、おじいちゃんを見つめていたら、『我が人生で第三番目に幸福だったのはは、…やすよしさんです(僕のお父さん)。嘘ではない!』、と言ったんです! びっくり。言われたお父さんもびっくり(*_*) 先日、おじいちゃんに、『やすよし、お前は何なんだ!』と怒鳴られていたから。 そして、それを紙に書けという合図を送るので、言われた通りに紙に書いて、おじいちゃんに見せると、その文字を噛みしめるように復誦していました。『そう! 嘘ではない!』、と言っておりました。

それから、僕が『二番目は?』と尋ねると、間一髪で、まるで昔から考えていたかのように、即答で、『妻!』と言いました。妻は二番目ですか…(^^; でも、お父さんも僕も思わず『おー』、と叫んでしまいました。

で、『第一番目は、…ふにゃふにゃ…』

…なんか「とばく」って聞こえた。おじいちゃんは競馬を愛していたので、とばくかなと思って、『とばく』と聞いてみた(紙に書いた)。そうしたら、ちょっとぷっと吹いて、『バカ!』と僕に言ってきた。おじいちゃんが笑った!!! しかも、僕の顔を見て、僕に向かって、紛れもない僕に向かって、『バカ』と言ったのです!! これには嬉しい驚きを感じました。おじいちゃんも、笑顔でした。

おじいちゃんの人生で一番目に幸福だったのは、『大和』だそうです。うちのおじいちゃんは、ずっと大和、邪馬台国、卑弥呼にこだわっている人でした。地方の一新聞記者でしたが、大和の卑弥呼についての本も出している。『妻』よりも大切なものがあった… そこが、おじいちゃんなんだよなー。それが男なんだよなー(ひとつ前のブログの記事を参照☆) 妻を思う気持ちは大切だとは思うけど、それが一番でなくてもいいんだよなー、って思わされました。

おじいちゃんにとっては、妻は二番目。一番目は、おじいちゃんの人生においてずっと謎だった大和だったんです。大和の謎は、おじいちゃんにとっては、何にも代えがたい大切な人生の問いだったのです。

でも、僕には、大和の卑弥呼の何が、おじいちゃんの幸福につながってるかは分かりません。きっと、何かがあるんだろうと思います。明治生まれの人です。軍国教育を受けています。日本人のルーツ=おじいちゃんのルーツ、日本とは何か、日本人とは何か、そんな問いがあるんだと思います。大正時代に幼少期を過ごし、昭和に入り、戦争への道を歩み、そして、屈辱的な敗戦。幼少期以降、自明のこととされてきたことがすべて否定され、自分の根拠を見出せなくなった。そうしたなかで、自分の根拠を探し求め、見つけだした「大和の卑弥呼」。きっと、言葉では言い表せない色んな思いがあるのでしょう。

で、話が盛り上がったところで、満足したのか、疲れたのか、寝てしまいました。寝てる姿を見てると、生きてるのか、死んでるのか、分からないほどでした。でも、ここまで、コミュニケーションができるのか、と本当に驚きました。これもまた、おじいちゃんの奇跡でした。

「三番目の幸福」は、最初、「タテマエ」だと思いました。いや、タテマエというよりは、娘婿への「ねぎらいの言葉」だったと思いました。妻の次が娘婿ってあり得ません。というか、そんなに娘婿(僕のお父さん)とは、深く付き合っていません。でも、死ぬ間際になっても、こうやってねぎらいの言葉をかけるおじいちゃんが素敵だと思いました。どんなに末期的な状況にあっても、他者に対する配慮、ねぎらいを忘れていないおじいちゃんがカッコいいなと思いました。

でも、ふと考えてみると、それだけではない気もします。やっぱり本当の気持ちなんだと思います。おじいちゃんからすれば、娘の婿にお世話になっていて、もちろん義婿の嫁(つまり僕の母親)もおじいちゃんにつきっきりで、それを嫌な顔一つせず、文句も言わない娘婿(つまり僕の父親)に、本当に感謝しているんだとも思います。何もできない自分、トイレも食事も一人でできない自分、それにつきっきりの娘、そして、それを陰で支える娘婿。そこまで、おじいちゃんは見えているんだと思います。

…それにしても、いったい『大和』の何がおじいちゃんの幸福となっているんでしょう? おじいちゃんにとって、「大和」って何なんだろう? なんで、『大和』がおじいちゃんの人生のなかで最も幸福になっているんだろう? それは、きっと誰にも分からないのでしょう。おじいちゃんにしか分からないこと。いや、もしかしたら、おじいちゃんでさえ、分からないのかもしれません。ただ、『大和』がおじいちゃんの人生の大きな柱であることだけは、はっきりと分かりました。

競馬じゃなかったんですね(苦笑)

きっと、僕も死ぬ時、色々思うと思うんです。でも、(ラーメン関係者には大変申し訳ありませんが)ラーメンとは言わないと思います。僕の人生はまだ途上中の途上ですが、きっと別の何かを言うと思います。多分、それは家族でも子どもでもないと思います。僕もまた、大きな「何か」を求める一人の男性だからです。それが、既に知っていることなのか、それともまだ知らぬことなのかは分かりません。ただ、大きな「何か」を求めて生きていることだけは確かです。また、おじいちゃんから、すごく大切なことを教えてもらった気がしました。

…まだおじいちゃんは生きている。生と死の狭間で、必死に、生の側に踏みとどまっている。

…うさぎと共に(^O^)

I LOVE YOU 
My DEAR OPA

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