講義ノートの一部を修正したものです。
なぜ、保育士養成課程に「家庭支援論」が導入されるようになったのか。
それをあれこれと思案してみました\(^o^)/
こども家庭支援論が誕生した背景
こども家庭支援論は、その名の通り、「こどものいる家庭の支援」について考えていく教科である。故に、まずは「こどものいる家庭」について議論し、その後に「支援すること」について議論し、最後に、「こどものいる家庭を支援すること」について考えていきたい。
このこども家庭支援論は、もともとは「家族支援論」という名であり、2002年に保育士養成課程の必須科目として新設された科目で、保育士養成課程の中では「新しい科目」と言ってよいだろう。2011年に「家族支援論」から「家庭支援論」に改名し、より具体的な状況に寄り添うことをめざす内容となった。
さて、2002年といえば、みなさんが生まれて間もない頃と考えてよいだろう。みなさんが生まれた頃に、「こどものいる家庭への支援」の関心が高まったと言ってもよいかもしれない。それは、「こどものいる家庭」が壊れ始めたから、というよりはむしろ、「こどものいる家庭が壊れている」ということが社会的に認知されたから、というべきだろう。
2000年前後に、各領域で、「家族の解体」が叫ばれるようになった。この頃に生まれたみなさんにはピンとこない話だろう。今回はこの「家族の解体」について語るとしたい。
みなさんが生まれる更に30年以上前に、日本では、「核家族の危機」ということが問題視されていた。核家族という言葉を聴いたことはあるだろうか?
「核家族」とはどのような家族のことをいうのか、調べてみよう。
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この「核家族」という言葉が流行した1970年代は、まさに「高度経済成長の時代(1950年頃~1970年頃)」であり、太平洋戦争でボロボロになった極貧の日本が、奇跡的な復興を遂げた時代であった。1986年頃から1991年頃の空前の「バブル景気」がそのクライマックスだったと言えるだろう(みなさんは、このバブルがはじけ、日本がしぼんでいく頃に生まれてきた人たちと言える。「暗黒の時代」を生きている世代とも…)。1990年頃の日本は、世界中で、「ナンバーワンのジャパン(Japan as number one)」と呼ばれていたのだ。
太平洋戦争でアメリカに完膚なきまでに叩きのめされた日本は、バブル景気の頃まで、「経済成長最優先」で突っ走ってきた。「金儲け」だけが全てだった。「働くこと」だけが全てだった。木っ端みじんに砕け散った国だけに、皆、がむしゃらに働いた。それはまるで、かつての戦争を忘れたいが故に、またその戦争を振り返ることから逃げるように、必死に働いた。
その結果、日本は、「金の亡者(拝金主義者)」の国になってしまった。ウルトラマンの前身「ウルトラQ」に登場した「カネゴン」を知っているだろうか。カネゴンは、高度経済成長期の最中、1966年に登場した(ウルトラシリーズで最も有名な)怪獣である。カネゴンは、紙幣や硬貨を主食としており、常に食べ続けていないと死んでしまう怪獣だった。このカネゴンが示すように、当時の日本は、ひたすらお金だけを追い続けた(上述したが、それは、過ぎ去った悲惨な過去に向き合うことから強迫神経症的に逃避しようとした結果であると僕は考えている)。
日本は1991年頃を境に、「転落の道」を歩むことになる。以下の図を見ていただきたい。これは、60年代以降の日本の経済成長率を示した図である。
1960年~70年にかけて、日本の経済成長率は10%以上あった。だが、70年代後半からバブル期には経済成長は止まり、みなさんが生まれた頃には、ほぼ成長しない状態に陥っていることが分かる。経済成長しないのだから、給与もボーナスも上がるわけがない。日本の成長は止まっている。否、もう下がり始めている。転落の道を歩んでいる。
このように、戦後日本では、(過去の過ちから目を背けるために?)「物質的な豊かさ」を追い求めた結果、「精神的な豊かさ」を失っていった、という警告の声が聴かれるようになる。「こころの豊かさ」と言ってもよいかもしれない。それは、「お金だけがすべて」という生き方への反省が生じたということと同義である。
こうした反省が生じたきっかけとなったのが、オウム真理教の「地下鉄サリン事件」と「阪神淡路大震災」が起こった1995年だった。オウム真理教という新興宗教は知っているだろうか? 麻原彰晃(あさはらしょうこう)という人物(死刑囚)を知っているだろうか?
オウム真理教と麻原彰晃は、何に対して、誰に対して怒り、戦おうとしていたのだろうか、調べてみよう。
彼らは、(やったことは絶対に許されないが)「物質的な豊かさ」を疑い、「精神的な豊かさ」を求めていた集団だった。「拝金主義」を嫌い、「物質的豊かさ」だけを追いかける日本人を嫌悪した。
90年代には、すでに「家族」もまた、崩壊していたと考えてよいかもしれない。70年代に「これ以上に解体できないレベル」として「核家族」の危機が叫ばれたが、その「核家族」も壊れ果ててしまっていた。夫婦という「核(CORE)」が分裂していったのだ。核家族が壊れた後に、離婚家庭やひとり親家庭が増え、最も小さな家族としては、「母一人+子一人」という家族も増えていった。
それだけでない。みなさんも既に他の授業等で散々学んだであろう「児童虐待(Child abuse/ Maltreatment」もこの頃から問題視されるようになる。夫婦という「ヨコのライン」だけでなく、親子という「タテのライン」も壊れていることが分かり始めたのである。この頃に壊れ始めたというよりは、この頃に「家族が壊れている現実」に気づくようになったと言うべきだろう。バブルの崩壊と共に、経済的にも、また精神的にも、日本はボロボロだということに気づき始めたのである。
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話を「こども家庭支援論」の話に戻そう。
先に、2002年に、保育士養成課程において「家族支援論」という科目が新設されたと述べた。この意味を分かっていただけるだろうか。
みなさんが生まれた頃、21世紀を迎えた日本では、「このままだと家族がヤバい」と思い始めた、ということだ。わざわざ「家族支援論」なる科目を設置しなければいけないくらいに、家族は壊れ始めていた頃、みなさんは産声を上げた、とも言えるだろう。経済的な勢いを失い、お金を稼げなくなり、更に家族も自力で守れなくなり…。
少しマニアックな話になるが、この頃から、いわゆる「ネトウヨ」が台頭するきっかけとなるような言説が注目されるようになる。経済的な発展が望めず、精神的な支柱も見つからない中、「戦前回帰」とも言えるような言論人が登場し始める。みなさんは知らないと思うが、1996年に「新しい歴史教科書をつくる会」という社会運動団体が結成され、歪められた「自虐史観」を脱却し、自国を愛する「愛国心」を育てようという思想が広がったのである。経済的な成長が望めなくなった時に、「お金」に代わる価値を、「愛国心」に求めたとも言えるかもしれない。それと共に、いわゆる保守派の人たちは、「(回顧主義的な)昔ながらの家族」への回帰を求めるようになり、「家族」は、政治的な問題として扱われるようになったのである。これもまた、「家族の解体」への危機感の表れと言えるだろう。
to be continued...