明日、保育士の卵向けに、ちょっと講話をするので、メモ程度に。
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保育士になる人は、「福祉」と「教育」を勉強することになります。
福祉には、福祉の理論があり、教育には教育の理論があります。
どちらも独立していて、児童福祉学、教育学という分野がそれぞれあります。
保育士になるためには、その両方の理論を学ばなければいけません。
もちろん独立した別々の分野なので、その内容も違ってきます。
が…
共通する点が一つあります。
それは、どちらも「子ども本位」で考える、という点です。
児童福祉においても、教育学においても、まずは「子ども本位」で物事を考えられることを目指します。
これは、言うのは簡単ですが、実践するとなるととても難しい。
例えば、口の悪い幼児がいたとします。
「バカ」「アホ」「シネ」「うざい」など、汚い言葉を常に口にする子です。
そういう子どもと向き合う際、みなさんならどうしますか?
「そんなことを言ってはいけない」、と言いますか?
「そういうことをいうと、私はとても悲しいわ」、と伝えますか?
どちらも、「間違い」とはいいませんが、「子ども本位」にはなっていません。
「そんなことを言ってはいけない」というのは、誰の目線かといえば、「大人目線」です。つまり、「大人本位」。
「そういうことをいうと、私はとても悲しい」というのは、「私目線」。つまり、「私本位」。
では、どうすれば、「子ども本位」の対応ができるのでしょうか?
保育者たちは、日々、こういうケースに直面し、色々と対応していますが、そのときに、「どうして、この子はそんな言葉を言うのだろう?」と考えます。「どうして?」、と問うのです。
その理由は、個々それぞれでしょう。
「まわりのみんなが言ってるから」「テレビやユーチューブで聴いたから」「親がいつも言ってるから」…
そういう理由をしっかり理解して、知ったうえで、どう対応するのかを考えています。
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普通の大人たちは、大人の常識の世界で物事を考え、その大人の常識に基づいて、色々と判断したり、対応策を考えたりします。
でも、保育者は、その大人の常識を知りつつも、その常識とは異なる子どもの世界に強い関心を持ちます。
子どもの発言は、不思議なものや不可解なものでいっぱいです。
一般の大人たちが、「なにそれ?」といって、笑い飛ばすところを、保育者たちは注目します。
保育者は、どこまでも「子ども本位」であろうとします。
そして、「どうしてだろう?」「なんで、そんなことを言うのだろう?」「そこにどんな意味があるのだろう?」、と考えます。
その根っこには、「子どもを理解したい」という衝動、というか、情熱があります。
保育者はみんな、子どもが大好きです。好きだからこそ、もっと知りたいんです。
僕も、子どもという不思議な存在をもっともっと知りたいと思っています。
しかも、僕の場合、いわゆる「普通の子ども」や「いい子」ではなく、「どこまでも辺境にいる子ども」や「末端にいる子ども」や「ギリギリの状況の子ども」のことが知りたい、と思っていまして、それがきっかけで、今の「赤ちゃんポスト研究」を行っています。(別紙参照)
子どもといっても、色んな子どもがいます。
10人いれば、10人の子どもがいます。
一人ひとり、違いをもった、かけがえのない存在です。
その一人の子どものことを、どこまでも大事にする親もいれば、また、全く愛せない親もいます。
育つ環境も違います。育った状況も違います。かかわる人も違えば、出会う人もそれぞれです。
そんな違いをもった子ども一人ひとりに興味をもち、関心をもち、そして、理解したいと想い、実際にかかわっていき、そのかかわりの中で、子どもの理解を深めていく。
それが、「子ども本位の保育」だと思います。
是非、子ども本位で考え、実践できるプロの保育者になってもらいたいと思います。
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うーん、、、
こんなんでいいかなぁ、、、。
卵たちに話すのって、とても難しい。
難しい話は、しゃべる方としては実は簡単で、楽しいし、面白い。
でも、こういうベーシックな話となると、話す方としては、厳しいし、緊張する。
エッセンスをどこまでもシンプルに簡単に、というのは、本当に難しい。
でも、「子ども本位」というのは、やっぱり保育業界の基本というか、ベースというか。
「児童中心主義」でもいいんだろうけど、どこかかたい、というか、学問チックすぎる。
「本位」が柔らかいかどうかは分からないけど、orientedだと考えると、シンプルかな、と。
さ、どうなることやら。。。