Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

「うつ」の克服をどう考えるか?-Yさんの言葉より-

最近、「うつ病」について色々と考えることが多い。

思えば、大学時代から、「統合失調症(当時は精神分裂病)」や「躁鬱病」は、自分の身近なところにあるものだった。また、「神経症」や「心身症(心気症)」も、身近にあるものだった。

「心とは何か」ということに疑問をもっていた僕は、どうして「精神病」や「心の病気」みたいなものが出てくるのか、疑問で仕方なかった。もちろん、ただ疑問に思うだけでなく、精神医学や精神保健、心理学や精神病理学の本も読みあさり、また、折にふれて、精神病や心の病に苦しむ人(苦しんだ人)の話を聞かせてもらってきた。

でも、学生時代の僕には、どれだけ勉強しても、よく分からない。いや、「よく分からなかった」。それゆえ、「僕にはもう分からない」と結論付けて、常識的な(学問として通説的な)知識を入れ込むだけで、その後、深く考えようとは思わなくなった。

けど、もう、今の時代、そうも言ってられない時代になってしまった。90年代半ばに勉強していた頃よりも、さらに「精神病」や「心の病」が社会の至るところに蔓延してしまっている、そう思わずにはいられない。あの当時は、自分よりも年上の人がそういう病に苦しんでいたけれど、今や、自分の学生たちと同じくらいの若者がその病に苦しんでいる。

僕らにできることは、「病院に行けば?」と言うだけなのだろうか。あるいは、「薬飲んでる?」と言うしかないのだろうか。

特に、21世紀に入って、「うつ病」(かつての躁鬱病とは少し違うタイプのもの)と診断される人の割合が増えてきているように思う。厚生労働省のHPに、次のような説明があった。

 厚生労働省が実施している患者調査によれば、日本の気分障害患者数は1996年には43.3万人、1999年には44.1万人とほぼ横ばいでしたが、2002年には71.1万人、2005年には92.4万人、2008年には104.1万人と、著しく増加しています。
 「最近うつ病が増えた」と強調されることがありますが、数字の解釈には注意が必要です。うつ病は検査などで明確に診断できる疾患ではないため、診断基準が少し変わることによって、診断される患者数にかなりの差がでてきます。最近の増加が本当の増加なのか、うつ病であるという判断方法の違いの影響が大きいのかは、十分注意する必要があるでしょう。(引用元

僕が心理学を学び始めた頃は、43万人だった患者数は、今や104万人にまで膨らんでいる。やはり、「うつ病」と診断される人は確実に増えているんだ、と思わざるを得ない。

今回、僕がこの記事を書こうと思ったのは、「じゃ、(今でいう)うつ病と診断された人は、どうやって未来を描いたらよいのか。どうやってこれからの人生を生きていけばよいのか」、と真面目に考えたからである。

医師たちが決まって言うのは、「うつ病に完治はない。治ったと思った時が怖い。治りかけの時期を寛解期という。うつ病は長い時間をかけてゆっくりと…」、というセリフだ。それを言われた当の本人は、どうしたらよいのか。しかも、「何年かかるか分からない」、と言われたら、もう何をどうすればよいのか…。途方に暮れるなんてものじゃない。

さらに、うつ病と診断された人は、周囲の人に、「死ぬのではないか」という心配もされることになる。「自分なんて死んでも誰も悲しまない」、「自分なんてこの世の中に必要のない人間なんだ」、と思うようになり、「希死念慮」が懸念されるようになる。事実、自殺をしてしまったり、自殺未遂を繰り返す人も多い。

誰とは言わず、僕のまわりに今、本当に苦しんでいる人がたくさんいる。驚くほどに多い。けど、きっとそれは僕だけの話じゃなくて、多くの人が同じような状況なんだろうと思う。もちろん実際に「うつ病」と診断されて、途方に暮れている人自体も多いだろうし、その家族や親戚や恋人や子どもを含めれば、とんでもない数の人が、この病に向き合わざるを得ない。


さて。

先日、某SNSで、僕と同じ世代の方で、10年間の「うつ病との格闘」を経て、再び立ち上がろうとしている人がいて、その人と話し合った。Yさんである。そのYさんのメッセージが、本当に具体的で、分かりやすくて、建設的だったので、本人の了承のもと、ここにご紹介させてもらうことにした。

なぜか。それは、うつ病を語る人(専門家)が、あまりにも「未来」を語らないからだ。うつ病と診断するまでは多くを語る。でも、診断後のことについては、もう何がなんだかよく分からない。何をどうしてよいのか、当の本人は何も聞かされないのだ。「薬はしっかり飲みましょう」とは言われるけど、「どう生きていけばよいのか」、「自分はこれからどうなるのか」、そういうことについては誰も何も教えてくれないのだ。

Yさんのメッセージを読んで、何かが変わるわけではないかもしれない。けれど、10年間苦しみ続け、そして、その後、ギリギリの中で、再び社会の中で生きようとしている当事者の声だ。とても説得力があり、力強い。(おまけに僕と同じV系フリーク♪)

これが「答え」ではないにしても、大切な「当事者の声」だと思うし、どこか「希望」を感じるメッセージになっています。なので、是非読んでもらいたいと思います。

(一部、加筆修正しながら、より読みやすいようにアレンジしています)


≪Yさんの言葉≫

私はほぼ10年、解離性障害によるうつ症状に支配されて、時間がやっと動き出したのがここ数年です。いきなり白髪が増えたり体力が低下していてびっくりしました。お酒も、ワインをボトル半分飲めるか怪しくなりました(苦笑)

うつ病は、よくある仕事のトラブルとかが引き金ですが、そのあとはドロドロです。そこから少し上がってバイトして、またメンタル壊してって周回しました。途中で二度、短期の入院もしました。

(どうやって立ち直ろうと思ったか) それはやっぱり、私はバンドに支えられたと思います。働かないとお金がないから、ライブに行けません。働くためには治さないといけないと思ったんです。就労許可とるためにも。なので、薬を飲んで、買い物とかで家の外の世界に触れるようにしました。

それと、ヤフオクとかで良いから、私は「hナオト」(ママ)とか着てみたかった服を買いました。そしていま、100均でも、メイクアップ道具一式が揃うので、それでネイルしたりして、家にいながら、「外見」に意識を向けました。あと、図書館も使いました。

都市伝説的ですが、「メンヘル(メンタルヘルス)」に効く食事とか、アダルトチルドレンの本とか読んでみて、麦ご飯にしたり、玄米ご飯にしたり、あるいは親も完璧ではないんだけど、すごく傷ついたことを思い出して、真っ暗闇の中で目の前に親御がいて、話しかけるようにしてみたりしました。

とにかく、薬以外のアプローチもできる範囲でやりましたね。そうして、ちょうど「お笑い番組」がたくさんやっていたので、感情鈍磨してるけど、クスッと笑えることがあったら、そこから無理やり大笑いしました。「NK細胞」を増やそう、と思ってやりました。

5年や3年で社会復帰した人もいました。ただ、社会復帰したあとに、無理をしたら休む日を作る、とかです。あと、できなくてもいいやりたいことをつくって、頑張りすぎない練習をするんです。

で、私はたまたま運良く、社会復帰しましたけど、なかにはどうしても治らない人もいます。でも、やりたいことやれたらそれでいいんです。完成できなくてもいい。その感情に自分が慣れれば、気持ちは楽になってくると思います。

うつ病の人って、完全主義の人が多いから、やりはじめたことを完成させないといけない、と思い込んでたりするんです。玄米ご飯を始めて、玄米がなかったら、遠くまで買いにいくくらいの人が多いと思います。結果、買い物で疲れてご飯たけなくて、自分を責めてしまうんです。

私も、発病して最初5年くらいは完全主義だったので、回り道したんですが、玄米ご飯を一日二日食べなくても平気。今日のご飯はファストフードでいいや。そういう気持ちになれるように持っていければいいんです。

で、誰かと一緒なら外出がかなり楽にできるようになってきて、そこで覚悟を決めたんです。「抗うつ剤飲み続けながら、普通に見えるように生きてやる」、というものです。で、就労できるようになって、少しずつバイトを始めたのですが、途中で父が亡くなったので、実家の事もやらなければならなくなりました。

バイトを辞めて、また、その後、再度、日払いのバイトを初めて、体力つけて行きました。あと、仕事する上で、「無理をしないことを頑張ろう」、「ほどほどでいるように頑張ろう」、がスタンスです。

「昨日、玄米炊けなくて、マックでご飯すませちゃった。私ってダメだ」と思ったら、(もう一人の自分が)「ご飯食べられたんだから、良かったよね」、と言ってあげる。この繰り返しですね。

で、こんなに偉そうなこと言ってますが、それでも時々はまだ、リスカ(リストカット)したくなります。でも、それで良いって認めることが鍵かもしれません。

考えが変わるきっかけというよりは、苦しいけど、自分を見つめ直して、こうなりたい、と思って、それをできるだけ自然にできるようにクセにしていくようにしていきました。でも、できないときもあるんですが、その時は「次にできればいい」と自分を許しました。

あとは、いろんな芸能人もメンタル系の病気についてカムアウトし始めていたから、私以外にも苦しむ人は多いんだ、でも仕事出来てるから私もできるかも、と具体的に考えられましたね。

その人は、なんと、野球苦手なんですけど、長島一茂さんなんです。キャンプ取材等で飛行機移動も多い人なのですが、相当なパニック障害で、飛行機のシーとは3席とって、横たわって行けるようにしてたり、搭乗ギリギリまで乗らない、中で着替える、お守り握りしめる、だったそうです。で、一茂さんはその後、飛行機の窓に本当に小さい点みたいなところが、外の空気とつながっていることを知って、少しパニック障害が楽になったと聞きました。で、メンヘルは治らないものではない、と私が気づかされたんです。

それと、私が社会学をやっていて、いろんなそっち系のほんをよむんですが、中でも、今一番日本で有名な社会学の教授、あの人が書いたうつ病の体験記は励みになりました。宮台さんです。あんなスゴイフィールドワークやってのける人が、うつ病で起き上がれない、それが衝撃でした。でも、ある時ふと、起き上がれそうだ、と思ってやってみたら、ベッドから起き上がれたんだそうです。そこが衝撃でした。

それと、これは、助言より体験ですが、入院中に同室の患者さんがベッドから落ちてしかも意識もない。たまたまナースさんが通りがかってベッドに戻すときに手伝ったんですね。「やるから手伝いしなくていいよ」、といわれたんですが、ヘルパー資格持ってます、と言ったら、「ここを支えて」、「一、二の三!」、で、二人でベッドに戻したんですが、それは私を人間扱いしてくれる、という大きな体験をできました。そう言う少しずつの体験をして、光が差し込んでることがわかったんです。あとはその光の元をたどる勇気を出すだけ、でした。


Yさんの言葉には、どこか、自然な感じでいて、とても説得力があるなぁ、と思いました。同じV系好きっていう親近感もありますが、それよりなにより、この豊かな言葉に、僕は引き込まれました。

このYさんの言葉が、このブログを読んでくれている「うつ病」の人や、その周囲の人に、ちょっとでも響いてくれたら嬉しいです。

 

PS

僕としては、とにかく「生き抜いてほしい」ということだけです。生きていてほしい。そして、再び「立ち上がろう」と自然に思えるまで、じっと待ってほしい。たっぷり時間をかけてほしい。焦らないでほしい。人間には、「自然治癒力」がある。自然に自分が変わるのを待つ。上のYさんのように、好きなことをやって、そのために生きてほしい。もしかしたら、神様がくれた「自由時間」なのかもしれない。

僕としては、ただただ生きてほしい。それだけです。僕は根本的にやる気のないダメな人間です。それでも、色々な人に支えられて、とりあえず生きてられます。生きてられるのも、たまたまの偶然だと思うんです。とすれば、生きるのが辛いという人生もまた、偶然なのではないか、と思うんです。切に。

この記事を書いてたら、20年前に作った曲を思い出したので、、、

『果てしなき荒野へ』という曲です。

1995年にMTR(カセットテープ)で録音したものなので、まぁ、その、、、

コメント一覧

さーちん
お返事ありがとうございました。そうですよね、唐突な言い方でしたね。すいませんm(__)m私は何かが起こるときには必ず理由があると思っています。私ごとですが、若い頃は大きな事故にあったり、体の病気になったり、最近では心の病になったりと…間違いなく運命ではなく、原因がありました。時に運命と言うもので命が消えてしまう事もあるかもしれませんが、生きてる限りはいい時も悪い時も理由があると、思っています。文章を書きなれていないので、上手く伝える事が出来なくてすいません。しかも!フルネームで書いてしまったことに反省してます。恥ずかしいU+1F4A6これからはさーちんでお願いしますm(__)m
kei
梅木さとみさん

はじめまして。コメントありがとうございました。

「偶然ではない」という小さな疑問については、もっとお聞きしたいですね。気になります。

「運命」? それとも「理由はある」?ですかね?

このブログは、ほぼラーメンの記事ばかりですが、今後も読んでいただけると嬉しいです。
梅木さとみ
うつ
ただただ生きていてほしいにどっぷり共感しました。楽に生きようも読んで心が救われました。
でも一つだけ、偶然ではないんじゃないかなと小さな疑問をもちました。すいません。やっぱりそこには何か、何か理由があるんだと思いました。勝手言ってすいません。全面的には強く共感しております。突然のコメントすいませんでした。
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