一時”影”を収集していた事がある。いや、まだ収集は続く。
影の写真や、影の絵を描いてみたり、”Schattenjagt" - "影狩り”という本のオブジェも作ってみたし、まだその続きを考案しているところ。
影がなぜ魅力的なのだろうか?
それは単に光があることによって現れる写し身であって、実態ではないのに、
時には本体よりも、影の方に存在感を感じてしまうのはなぜだろうか?
他人の影を踏んではならない。
どこに影が落ちるか気をつけなければいけない。。。。
影は人間の魂をあらわすと信じる人たちもいる。
子供の時は”影ふみ”をして遊んだ。自分の”影”を踏まれるととても悔しく思ったものだ。
植物ナス科をドイツでは”Nachtschatten Gewaechse " - 夜の影 科 -と呼ぶ。
実はこのNacht(夜)schatten (影)の Schatten は古い言い回しのSchaden - 損害、損傷-という言葉からきている。
だから、それは ”Nachtschaden"-夜の被害-ということになる。
昔 ”Nachtschaden"という言葉には" Alptraum"-悪夢-という意味が含まれていたという事だ。
ナス科の植物は多かれ少なかれアルカロイド ソラニンを含んでいる。
かの有名なベラドンナ-眼を魅力的に見せるためにベラドンナ液を瞳孔にさしたという-
はその代表であり、他にも強い毒性を持つヒヨスなどは薬としても使われるかたわら、間違ったら命取りという成分を秘めている。
昔、それを服用しては悪夢を見たり、場合によっては命をとられる事があったからこの名前が付けられたのだろうと想像する。
そういえば日本では”秋茄子は嫁に食わすな”というけれど、あれはやっぱり食べ過ぎるといけないからなのだろうか? いろいろ説はあるようですが。。。。
”影”から思わぬ方向に話が走ってしまった。
影の写真や、影の絵を描いてみたり、”Schattenjagt" - "影狩り”という本のオブジェも作ってみたし、まだその続きを考案しているところ。
影がなぜ魅力的なのだろうか?
それは単に光があることによって現れる写し身であって、実態ではないのに、
時には本体よりも、影の方に存在感を感じてしまうのはなぜだろうか?
他人の影を踏んではならない。
どこに影が落ちるか気をつけなければいけない。。。。
影は人間の魂をあらわすと信じる人たちもいる。
子供の時は”影ふみ”をして遊んだ。自分の”影”を踏まれるととても悔しく思ったものだ。
植物ナス科をドイツでは”Nachtschatten Gewaechse " - 夜の影 科 -と呼ぶ。
実はこのNacht(夜)schatten (影)の Schatten は古い言い回しのSchaden - 損害、損傷-という言葉からきている。
だから、それは ”Nachtschaden"-夜の被害-ということになる。
昔 ”Nachtschaden"という言葉には" Alptraum"-悪夢-という意味が含まれていたという事だ。
ナス科の植物は多かれ少なかれアルカロイド ソラニンを含んでいる。
かの有名なベラドンナ-眼を魅力的に見せるためにベラドンナ液を瞳孔にさしたという-
はその代表であり、他にも強い毒性を持つヒヨスなどは薬としても使われるかたわら、間違ったら命取りという成分を秘めている。
昔、それを服用しては悪夢を見たり、場合によっては命をとられる事があったからこの名前が付けられたのだろうと想像する。
そういえば日本では”秋茄子は嫁に食わすな”というけれど、あれはやっぱり食べ過ぎるといけないからなのだろうか? いろいろ説はあるようですが。。。。
”影”から思わぬ方向に話が走ってしまった。
ちょっとした言葉、言い伝え、ことわざなどには、いろいろな背景が隠れているのですね。
興味の波紋が広がってゆきます。
日本語でもドイツ語でもある言葉に捕まって、調べ始めたらトンでもない所まで走ってしまう事がよくあります。
またどうぞお越しください。
「影狩り」、とても興味深く読ませていただきました。影には不思議な魅力があります。影つながりで、シャミッソーの『影をなくした男』を思い出しました。
ところで、秋茄子ですが、「秋なすび早酒(ワササ)の粕につきまぜて棚におくとも嫁に食はすな」という和歌がもとです。この嫁とは「嫁が君」の略、即ち鼠のことです。それが、後に姑に対する嫁と解釈されるようになったそうです。一般的には、秋茄子は美味いから憎い嫁に食べさせるな、という意味ですが、秋茄子は、体を冷やすから、或いは、子種がなくなるとこまるから、大事な嫁に食べさせるな、という場合もあります。