新新☆もこほじゃほろみ日記

煩悩と私事のサイト

この際

2014-09-20 | 芸術
久しぶりにこの詩が読みたくなったのだ。

  浜辺の足跡

 ある日、私は夢を見ました
 浜辺を神とともに歩いている夢を

 海の向こうの大空に、私の今までの人生の光景がはっきりと写し出され
 どの光景の前にも、浜辺を歩いている神と私の二組の足跡がありました

 最後の光景まで来たときに振り返ってみると
 ところどころ足跡が一つしかないことに気づきました
 そして、それはいつも私が苦境に落ちて
 悲しみに打ちひしがれているときでした

 私は、あえて神に尋ねました
 私があなたについていくと言った時
 いつも私のそばにいてくださると約束されたのに
 どうして
 私が一番あなたを必要としているときに、私を見放されたのですか

 神は答えておっしゃいました
 私の大切な愛しい子よ
 私は決してあなたのそばを離れたことはない
 あなたが見た一つの足跡
 それは
 苦しみや悲しみに傷ついたあなたを
 そっと抱き上げて歩いた私の足跡なのだと

 ある日、私は夢を見ました
 浜辺を神とともに歩いている夢を


本日はこれだけ。
神か・・・


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2 コメント

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これは (もくもく)
2014-09-21 20:32:06

何を言わんとしているのでしょうか…

自分が一人で辛い思いをしていると感じていても、実は誰かに守られているかもしれないことに目を向けてみましょうという教えみたいな感じなんでしょうかね…?

シフさんの言葉が、神か…で終わったのもなんなのでしょう(^^)


そういえば私はお釈迦様の、貧者の一灯のお話が好きです…メジャーすぎますが(笑)
そうですな (シフ)
2014-09-21 22:49:41
だいたいそんなところでしょう。

つまるところ、自分がいま生きているのは、自分では気がつかないけど神が「守る」という形で「生かして」くれているからである、という意味かと思います。

「神か・・・」と言ったのは、しかし試練を与えるのも神なんだけどね、というくらいの意味です。(^_^;)

主は与え、主は奪う(ヨブ1:21)
これが神の本質かな(笑)

「貧者の一灯」と非常によく似た話が聖書にもあります。
それは献金ですけどね。
金持ちの高額な献金よりも、貧乏な寡婦の献金のことを「誰よりも多くの献金をした」とイエスは言う。
なぜなら他の人は多くの中の一部だが、この人は持ってるものを全部入れたからだ(マルコ12:41-44、ルカ21;1-4)

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