新新☆もこほじゃほろみ日記

煩悩と私事のサイト

映画『神童』

2008-11-02 | 芸術
映画『神童』を観た。(放送録画)

う~~む、こういう映画は難しいね。
何が難しいか。それは、クラシック音楽における「音楽の才能」あるいは「才能と呼ぶに値する要件」を充分理解した上で作らないと、クラシック音楽が好きな人が観ても、そうでない一般的な映画好きが観ても、どっちも満足しない作品になっちゃうんである。

そういう意味で言うと、私はまるで不満足。何が言いたいの?リアリティ無さ過ぎだと思った。

大体やねぇ~、劇中で主人公うたが弾くお父さんの想い出の曲(映画用の新曲と思う)、これが平凡で全然たいした曲じゃない。「神童」というからにはもっとそれらしい曲を弾いて欲しい。この一件だけでもディープなクラシックファンの支持を失ってしまうだろう。

残念ながら映画を観る限り、主人公うたは「思い込みの強い母親に音楽を強制された可哀相な子」「親の偏狭な価値観の被害者」にしか見えない。神童だろ。もっとストレートに音楽を描けよ。神童と呼ぶにふさわしい能力がなにかわかってないからあんな描き方になるんだろう。

神童うたの本格演奏シーンといえるのも、上記の「想い出の曲」以外はモーツァルトのピアノ協奏曲20番だけだしね。いい曲だが他人のショパンのエチュード(作品10-4)の演奏をぼろくそに言ううたにしては技術的に物足りない。ラフマニノフとはいわないがせめてベートーヴェンぐらい弾けよ。

原作のマンガはその点が凄かった。作者さそうあきら氏の豊かな音楽的知識とナイスな選曲に、奔放に羽ばたく「神童」の才能の確かな描写に、読んでいて深く納得するものがあった。映画はクラシック音楽をよく知らない人が作ったとしか思えない。このスケールの小ささは「日本初の本格クラシック映画」というのには余りに情けない。TV『のだめカンタービレ』の方がはるかに優れていると思う。

映画『神童』で面白いところがあったとしたら、主人公うた(中1)と相手役わお(音大浪人のち音大生)の、ちょっとペドフィリア(小児性愛)ぽい微妙な距離感である。危険なような、心配ないような二人の交流関係(うたはわおの部屋に自由に出入りし、泊まりに来たりもする)の煩悩寸止め感に心をくすぐられる。そういう目で見ると隠れロリ(?)の大人のおじさんは、一寸ドキッとする映画である。

最後に、放送されたものは編集のしかたがかなり杜撰で、特にエンディングのカットはひどいものだった。音楽映画はストーリーさえわかればいいってもんじゃない。