金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

司法試験のハードル下げるべし

2013年07月26日 | インポート
今松本に向かうあずさの中。スマホで投稿中。多少の誤字はご容赦を。今日の日経朝刊大機少機は司法試験合格者引き下げに反対の論調。私も同意見。ところで記事に「筆記試験に合格しただけで職が保証されるギルド社会の方がむしろ弊害が大きい」とある。ギルド社会というと英国などを連想するかもしれないが、英国の弁護士のハードルは極めて低い。極端にいうと誰でも弁護士的な仕事ができる。顧客がつくかどうかは別問題だが。税理士業務も同じだ。英国スタイルにも問題はあるだろが、法律を身近なものにするには、参考にするところ大。要は誰のために法律はあるのか?と考えると答はでる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「風立ちぬ」、牛が引く戦闘機に日本を見た

2013年07月25日 | 映画

過日今話題の「風立ちぬ」を見た。清々しい良い映画だったと思う。映画全般の評価は、詳しい人に任せるとして、私が興味を持ったシーンは、二郎たちが作った戦闘機が牛が引く荷車で飛行場に運ばれていくシーンだ。

欧米列強に並ぶべく独自に戦闘機を開発する設計力とそれに見合う運搬力を持たないというアンバランス。このシーンに宮崎監督のどれほどの思い入れがあるのかは知らないが私は第二次大戦における日本の戦争突入の原因と敗因を見事に象徴していると感じた。

ゼロ戦、酸素魚雷など部分的には日本は優れた兵器を開発した。当時から戦術的には過去の遺物となっていたが戦艦大和や武蔵も当時のハイテクのかたまりだった。この一部の優れた兵器を軍部が国民に喧伝して「日本は強い、米英とも戦える」という神話が醸成され多くの国民がそれに酔った。そして神話を語っている内に、冷静であるべき指揮官まで「敵を知り己を知る」ことを忘れてしまった。それが戦争突入の原因である。

だが優れた兵器はそれを運用する基盤がなくてはならない。南洋の島で日本軍がつるはしで土を起こし、もっこで土を運んでいる時、米軍はブルドーザーで一気に飛行場を建設していった。これでは日本の飛行機の性能が優秀だとしても運用力で太刀打ちすることはできない。

情報と兵站の軽視、はっきりいうと無視が日本の敗因である。武道には「技は力のうちにあり」という言葉があるが、部分的に優れた技術があっても、牛に戦闘機を引かせているような国力では、米国とまともに戦うことは無理だったと示唆するシーンだったと私は感じている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元気を出してください。今の山岳部員さん

2013年07月24日 | 

先日私のブログ「大学山岳部の活動劣化に愕然とした」にある大学山岳部の方からコメントを頂いた。曰く、今は講義の出席日数も増えて長く山に行くのは大変、また事故が起きると風当たりが強いので困難な山登りはやりにくくなっている、昔がうらやましい、ということだと思う。

私が大学で山を登っていた頃は1970年代前半、40年から45年位前である。時間の物差しを逆に倒して私の学生時代から40-45年昔を振り返ると昭和一桁の時代である。

登山史を眺めてみると、「孤高の人」として有名な加藤文太郎が本格的な登山を行った時期に重なる。加藤は1936年1月槍ヶ岳の北鎌尾根で遭難死した。この年には立教大学山岳部が日本隊として初めてヒマラヤに登頂した。

それから40年、日本の山で未踏のルートはほとんどなく(いやあるにはあったが、エキスパートにしか手が届かない難ルートのみ)、登山の世界ではパイオニアワークという言葉が空しくなりつつあった。加藤文太郎の話や大島亮吉の書いたものを読んで「昔の人は良かったなぁ」という感慨にふけったこともあった。

ある切り口から見ると昔はよく見えるものである。だがある切り口から見ると現在が良い。風雨を跳ね返すゴアテックスの上下、軽くて安くなった羽毛服、軽便なガスコンロやテント、温暖化や林道の発展で雪山のアプローチは簡単になっている、などなど今日が良いことも多いのである。

ただ一つはっきりしていることは、沢山の先人に登られた、悪くいうと手垢のついたルートももし私が初めて登るのであれば、それは私にとっては初登攀である。そのルート、そのルートからたどる頂上は新鮮なのである。

偉そうにいえば人生もまた同じ。似たような人生でも一人ひとりにとっては一度きりの大事な人生だ。今を、自分の山を登りましょう。

学生時代、大好きだったイタリアの偉大な登山家ワルテル・ボナティの言葉を紹介して締めくくろう。

わが山々へ

そのきびしい道場から わが青春が学びとった 心のしあわせに対して 限りない感謝をこめて

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏野菜、買わなくなりました。

2013年07月24日 | うんちく・小ネタ

猛暑が続いたので、野菜が高くなっているとニュースに流れていたがあまり実感はない。元々私一人で食材を買いに行くことが少ないので、物価のレベル感(レタス一つの相場が幾らとか)を持っていないからである。加えて今年は僅かばかりのプランター栽培のナスやゴーヤに加え、ご近所や遠方の知人からトマトやキュウリの頂きものが増えたので、夏野菜を買うことが少なくなっていることも理由の一つだ。

そう思って近所の庭先を見ると、ミニトマトやナスを栽培している家が多い。私は家庭菜園を借りてまで野菜作りをするほど園芸が好きではないが、元の会社の山仲間の中には本格的な野菜作りを始めている人もいる。

統計的な根拠はないけれど、団塊の世代の退職で野菜の店頭販売は減っているのではないだろうか?

さらに言えば、団塊の世代の退職などで家庭で野菜作りをする人が増えてくると近郊農業の在り方に影響を及ぼす可能性はないだろうか?などと考え始めている。

その場合欲しいのは作った野菜をシェアしあう仲間であり、さらにいうと野菜を作る前に何を作るか分担する仲間である。もし一定規模の仲間の間で「私はナスを作る」「私はトマトを作る」「私はキュウリを作る」など分担ができて「収穫した野菜はみんなで分けよう」という取り決めができれば、効率的だ。

またフェイスブックで収穫予想情報を交換すると、スーパーなどでの買い物を抑えることができる。フェイスブックやブログでは、野菜作りのノウハウや収穫した野菜の調理法(特にトマトペーストなど保存がきく調理法)を公開することもできる。

私が知らないだけで、こんなサークル、あるのでしょうね?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひと時の夕焼け、ひと時の清風

2013年07月23日 | うんちく・小ネタ

7月23日午後久しぶりの停電。帰宅したら節電モードのプリンタが「正しい方法で電源を切ってください」などとコメントを出していた。最近のディバイスは賢い上、停電の経験がないので、不具合はすべてユーザの誤操作と判断してしまう。

午後7時夕立がひと時あがり束の間の夕焼け。

P7231991

窓を開けると爽やかな風が吹き抜けた。明日の東京の最高気温は26度という予報がでていた。

涼しきことは良きことかな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする