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金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

マドフの懲役は150年!?

2009年03月11日 | うんちく・小ネタ

昨年金融界を震撼させた史上最大の「ねずみ講」(ポンジ・スキーム)事件で逮捕されたマドフが今週木曜日に法廷で11の罪(証券取引法違反、マネーロンダリング法違反など)について有罪を認めるだろうと彼の弁護士が述べたと欧米の新聞が報じていた。

有罪となると懲役期間は150年になる(無論最終判決次第だが)ということだ。米国では複数の罪で有罪となると、個々の罪による懲役期間が加算されるので150年!という人の寿命を超える刑期が科されるのだ。マドフは70歳であるから懲役50年でも無論終身刑であるが。

因みに日本では複数の罪で懲役を受ける場合刑法47条で「一番重い刑期の1.5倍が上限」と定められている。したがってもしマドフが日本で同じ罪を犯してもせいぜい懲役15年位の刑期だろう(詐欺罪の懲役刑は最長10年)。つまり本件に関して米国での刑期は10倍である。

10倍というと受刑者の比率(人口10万人に対する受刑者数)が米国は日本の約10倍である。英語版ウイキペディアによると米国では人口10万人に対して受刑者が756人いる。日本は62人だ。因みに受刑者比率が高いのはロシア611人、英国148人など。低い国は例えばインドの22人だ。

このデータだけでそれぞれの国の犯罪の多少、モラルの高低を論じることはできない。つまり同じ犯罪を犯しても、懲役期間の長短により受刑者の数は変るからだ。また犯罪検挙率も考慮にいれなくてはならない。

ところで犯罪白書によると、平成18年時点で日本の刑務所の収容率は115%(つまり定員を15%上回っている。定員は約8万人)、パンパンの状態である。裁判所が刑務所の収容能力を見ながら、刑期を決めるとは思わないが、刑法改正をして米国並みの懲役加算をすると日本の刑務所はたちまちパンクするだろう。

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金融マンも人相学をやる時代?

2009年03月10日 | うんちく・小ネタ

中学生か高校生の頃、リンカーンの人相に関するエピソードを読んだことがある。粗筋はこうだった。

リンカーンが大統領になった時、ある人が彼の有力な支持者を閣僚に推薦した。ところがリンカーンはこの支持者を閣僚に任命しなかったので、推薦者は何故彼を任命しないのか?と質問したところ、リンカーンは「彼の顔が気に入らない」と答えた。推薦者が顔は彼の責任ではないでしょうと反論したところ、リンカーンは「いや、男は40歳を過ぎると自分の顔に責任を持たなければならない」と答えた。

近時このエピソードを耳にすることは余りなかったが、この話が復活するような記事をエコノミスト誌で読んだ。それは「人の顔は道徳的特性や信用力を表す」という研究に関するものだ。

研究をした人はジェファーソン・デュアートというテキサスのライス大学の助教授だ。彼とその仲間はオンライン金融仲介サイトProsper.comを利用して人相と信用力の相関関係を調べた。この金融仲介サイトはお金を借りたい個人が、信用情報等を添えて申し込みを行うと複数の貸し手がその情報を元に条件を提示する。そして提示された条件(金利)の有利なものを借り手が選ぶという仕組だ。

写真の添付は借入申込の必須条件ではないが、しばしば写真を添付する申込人がいる。デュアート助教授はアマゾンのメカニカル・タークというサービス(詳細は省略するが、オンラインベースの労働力提供スキーム)を使って、25人の人に顔写真から借入申込人の信用力を数値的に判断させた。この顔写真つまり人相による信用力の推定と信用履歴に基づく借入申込人の信用格付は高い相関関係を示した。

このような信用判定が有効だとすると、銀行やサラ金などで早速実務に取り入れたいところだろうが、デュアート助教授の研究は「人相のどのような特徴が信用力を示すか?」を特定するものではないということだ。

体系だった人相学を勉強した金融人は少ないだろうが、経験豊富な金融人は自分で体験したり、先輩の話を聞いたりしながらある程度人相を信用力の判定に使っている・・・と私は思っている。私の経験でも取引先の社長や役員の容姿・態度からそ人物や会社の将来を予想したことは多い。だがそれは総合的かつ直感的判断であり、「形式知」としてマニュアル化することは難しいだろうと私は思う。

人相学というと日本では江戸時代に水野南北という大家がいた。彼は人相・骨相を調べるために銭湯の三助になったり、火葬場の穏亡(おんぼう。差別用語らしいが江戸時代の話なのでご了解を)になったりして、観相学の大家になった。だがその南北をしても人相だけで人の寿命・幸不幸を見極めるのは難しく、その人の食事・飲食の習慣による推察を併用したと聞く。つまり正しい食事(南北によると「米は食べずに麦を食べ、酒は一日一合にする」)をしていると健康で長寿を保て、不摂生な食生活は不健康・短命を招くということ。これは極めて科学的な話だ。

この不況の時代、金融界の人も実業界の人も苦労が多いが見た目は明るくしたいものである。見た目が暗いと信用の面で損をするだろう。しかし軽過ぎてもいけない。軽さは無責任を想起させる。二重人格や人品骨柄が卑しい人も私は嫌いだ。

少し出世した金融人によく見かけるのが「部下に威張り、上司や金融庁にペコペコする」タイプだ。このタイプは質の良いスーツを着ても、人品骨柄の卑しさが滲み出る。金銭面の信用力の程はさておき、人間としては信用できないタイプである。

話がずれてしまったので収束をはかろう。人相とは生き方が滲み出ている面があり(総てではないが)、リンカーンの言うようにある年代を過ぎると責任を負うべきものなのだろう。人相から相手を見抜くには、水野南北のレベルは別格としても、少なくとも相手を上回る位の経験・研鑽が必要だ。

格付機関やアナリストの話も鵜呑みにできないこの時代、観相学を見直すというのも面白そうだ。

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経常赤字が意味するところ

2009年03月09日 | 社会・経済

財務省が今日(9日)発表した1月の経常収支は1,728億円の赤字だった。赤字は13年振りとのこと。財務省によると世界同時不況で輸出が減った上、諸外国からの金利や配当収入が低下したことが赤字の原因だ。では世界景気が回復して輸出が増えると経常収支は黒字になるのだろうか?ことはそう単純ではないかもしれない。

昔マクロ経済学で学んだことで、所得・消費の恒等式というのがあった。所得=消費+投資である。この式を展開すると(投資-貯蓄)+(政府支出-租税)+経常収支=ゼロである。

日本はよく諸外国から「貯蓄過剰なので経常黒字を溜め込んでいる」と批判されてきた。仮に投資と(政府支出-租税)を一定とすると、貯蓄が増えると経常収支が増え、貯蓄が減ると経常収支が減ることが上記の式から分かる。たしかに日本は80年代90年代は貯蓄率が高かった。しかし近年は貯蓄率は低下し、最近では米国を下回るといわれている。退職者は貯蓄を取崩して生計費に回すので、人口の高齢化が進むと国としての貯蓄率は低下する。

個人の貯蓄の減少状況から見ると、経常収支はもっと前に赤字化してもおかしくなかったが、企業が投資を減らし国も支出を抑えてきたので経常収支の黒字が持続した訳だ。だが今後退職者が増えていくと、日本の貯蓄は減少するので経常収支は赤字基調になるかもしれない。

経常収支が赤字といえば米国は投資過剰・貯蓄過小(なお最近は節約に回って日本を上回る貯蓄振りだ!)で、巨額の経常赤字を出していた。その赤字を中国や日本が米国国債を購入するという形でファイナンスしていた。米国の経済学者(ポール・クルーグマンなど)の中には、アジア諸国の貯蓄過剰と米国の経常赤字というアンバランスが今回の金融危機の原因だと主張する人がいる。彼等から見ると日本の経常黒字から赤字国に転落することは歓迎するべきことだろう。

もっともエコノミスト誌は「日本の経常黒字の減少が、輸出不振の結果でなく、国内消費の拡大の結果ならよいのだが」と嫌味を述べている。日本は英米の政治家や経済学者達が期待した内需拡大による経常黒字の削減を経験しないまま、ずるずると経常赤字化してしまうかもしれない。若い時老後に豊かな暮らしを送ろうと思って、消費を削って貯蓄に励んだのに、いざお金を使おうと思った時には、体が自由に動かない・・・・例えるならばこんなことだろうか?

なお経常収支のアンバランスが、金融危機の原因だとする意見に対してIMFは「監督官庁の監督不足と市場規律の欠如こそが原因」と反論していることを付け加えておこう。

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頼りは金位か?

2009年03月09日 | 社会・経済

ファイナンシャル・タイムズによると、昨年リーマン・ブラザースの破綻を予想して、同社株の空売りで名を成したヘッジファンドが今度は金投資で話題を呼んでいる。

ヘッジファンドの名前はGreenlight Capital。金価格は先月1オンス1,000ドルを越えた後、900ドル近くまで下落しその後940ドル近くまで値を戻している。同ヘッジファンドの設立者アインホーン氏は「世界中の国が財政支出を拡大するので通貨価値が下落する」「連銀議長が通貨価値を下落させることを決定するならば、彼は成功するだろう」と述べている。

このような見方をする投資家は欧州に多いとFTは述べる。金地金を取り扱う銀行のディーラーの責任者は同紙に生涯ではじめて見る程、大手投資家の金買いが殺到している。過去ヘッジファンドは余り金投資に熱心ではなかった。何故なら金投資は配当を生まないので、キャリーで損をするからだ。しかしこれだけ各国の金利が低下するとキャリング・コストは余り問題にならないようだ。

私も少しながら、金価格連動型上場投信(1328)で金投資を行っている。これなど手軽な金額で売買できるので、ちょっと面白い投資だと思っている。ただ金投資で利益を得るには売買益を実現するしかないので売り時が問題だ。

「不況から脱出するには、通貨を大量供給してインフレを起こすしかない」と欧州の投資家達が感じているのは、過去のインフレの恐怖を情動知でとらえているのだろう。

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湯河原バジェット旅行始末

2009年03月07日 | 旅行記

2週間ほど前ワイフと湯河原に一泊旅行をすることに決めた。週末に新聞の折込広告を見ていたら「伊藤園ホテル」というチェーン店が安いホテルをあちこちに展開していることが分かったので、湯河原の「四季彩」という傘下のホテルを予約してみた。値段は夕食の飲み放題付で9,800円!。ここまで安いホテルに行く必要があるのかどうかは疑問だが、一度挑戦してみることにした。

ところで英語で「安いホテル」という場合普通 A cheap hotelというような直裁な表現はしない。大抵A budgetという言い方をする。Budgetとは「予算」という名詞だが、形容詞的に「つましい予算の」という使い方をすることがあるのだ。なおこれは私の感覚であるが、cheapには「安物・安くて悪い」という否定的なイメージがあるが、budgetには「安くて合理的」という肯定的なイメージがある。もっともこれはバジェットなホテルによく泊まるものの強がりかもしれないが。

さて旅行一日目の3月6日(金曜日)は強い雨。湯河原に行ってもすることがないので、小田原から箱根鉄道で二駅先の風祭に行き、かまぼこの鈴廣が経営している蕎麦屋(美蔵)で、ビールを一杯飲んでゆっくり昼食を取る。その後「かまぼこ博物館」などを見学。なおかまぼこ博物館ではかまぼこ作りの実習コースがあったが、こちらは作成と仕上げ待ち合わせて2時間かかる上、予約が詰まっていたのでやめた。

時間をつぶした後、湯河原駅からホテル迎えのマイクロバスに乗り4,5分でホテル到着。ホテルの建物は古いが部屋は普通である。風呂は源泉かけ流しではなく循環式だが広くて気持ち良かった。夕食はこの手のホテルに共通した固形燃料で煮る鍋や赤みのマグロ、茶碗蒸しといったところ。加えてバイキング形式でてんぷらなどを食べられるので、味はともかく量は十分といえよう。

問題は「酒」にあった。まず「冷酒」を試す。これは青竹の筒に日本酒を入れて氷の入ったボールで冷やしている。これは良い。問題は味だ。何とも水っぽいのである。そこで熱燗を試す。これも水っぽい。日本酒がまずいので、絶対に期待はできないが、万一ということもあるので「白ワイン」を一杯試した。ところがこれは少しアルコールが入ったぶどうジュースのようなものだった。

お酒を飲まないワイフは夕食を「まあまあ」と評価したようだが、私は日本酒・ワインの味があまりに悪かったのでホテルの評価は大減点だ。私の推測だが、旅行者に安さを訴求するため「9800円で飲み放題」までやるのは無理があるような気がした。旅行者の中にはお酒を余り飲まない人もいるので、宿泊+夕食を定額・低料金にしてお酒は別料金にした方が良いと思う。この手の不味い酒を飲まされるのでは私はごめんである。

バジェットなホテルは良いが、チープなホテルはいかんのである。

翌日は曇りながらかなり気温が上がったので、予定通り湯河原の不動滝(写真)を見て万葉公園付近を散策した。

Fudoudaki

その後湯河原駅から路線バスで幕山公園に行き、湯河原梅園を散策する。梅園は今が花盛りで大勢の人が来ていた。残念なことに梅は余り良い写真にならない。

Makuyama

その後小田原に行き小田原城を散策する。自慢ではないが小田原城に入るのは生まれて初めてだ。写真は天守閣の手前にあるイヌマキの大木。命を感じさせる木だ。

Inumaki

小田原城を見学し終わったのは1時半前、2時過ぎのロマンスカーで帰京することにした。この日はバスや電車の乗り継ぎが実にスムーズに行ったし、山道・坂道もすたすた歩いた。これは前日深酒をしていないからである。昔社員旅行などでは二日酔いで翌日バスでへばっていたという不名誉な経験があるが、これは前日美味い酒を飲み過ぎたからであった。前段でホテルの酒の悪口を行ったが、ひょっとするとホテルでは翌日の旅程の差し障りにならないように余り美味しいお酒は出さないようにしていたのだろうか・・・・。

Odawarajyou

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