2月28日(土曜日)ワイフと武蔵村山のワーナーマイカルに「おくりびと」を観に行った。アカデミー外国語映画賞を取った映画なので混むと思い、前日にオンラインで予約をしておいた。細かい話だが、オンラインで予約すると1枚100円の手数料がかかる。銀行の送金など通常はネット取引の料金を優遇しているのに、どうして映画館はネット予約に手数料を取るのか理解に苦しむところだ。
さて本題の「おくりびと」。全般的に良かった。本木雅弘や山崎勉の演じる納棺師の死者の衣装を着替えさせる作業が、茶道のお手前や能の舞(詳しくは知らないが)のように様式美に満ちていた。死者を弔うという荘重さに満ちていた。死者を丁重に弔うことは、故人への最後にできるだけのことをしたという気持ちを遺族に与え、遺族の悲しみを軽減する意味を持つ。
この映画で印象に残った言葉は火葬場従業員役の笹野高史が「(火葬は)門のようなものだ。死は終わりではなく、新しい世界への門出なのだ」という趣旨の言葉をつぶやく場面である。
舞台が山形県酒田というのが良い。私は山形県庄内地方は、死者と生者の距離が近い場所だと思っている。死者との距離が近い一例をあげると出羽三山信仰だ。出羽三山ので一番高い月山は「死の世界」を象徴するという。信仰深い人々は羽黒山、月山とお参りして最後に湯殿山に参詣する。湯殿山は生の山、つまり月山で一度死んで湯殿山で新しく生まれるのである。
羽黒山を登っている時、古い木の幹の洞(うろ)の中に若い木が生えている姿を見たことがある。再生の象徴なので写真を紹介しよう。
映画では鳥海山のおおらかな山容の映像が効果的に使われていた。数年前の夏鳥海山に行ったが、台風のため登ることはできなかった。今度再チャレンジするときは「おくりびと」のことを思い出しながら登ってみよう。