「歴史は歴史家が作る」と言ったのは有名な歴史学者E.H.カーである。この言葉をマスコミに適用すると「ニュースはマスコミが作る」ということになる。つまりどんな大きな出来事でもマスコミが世の中に報じなければニュースにはならず、逆に小さく見えることでも報道を続けるとニュースになる可能性がある。
FTが三菱東京の平野頭取のインタビュー記事を報じているが、そのタイトルが表題の「東京三菱平野頭取、JGBエクスポージャーに懸念」だ。FTの記事の流れを見ていると、日本国債のショートポジションを取るヘッジファンドを紹介する等、日本国債の金利上昇(価格は下落)に対する警鐘を鳴らし続けていると思われる。
この報道姿勢を見ていると、米国でサブプライム問題が爆発する1年以上も前から住宅バブルのリスクに警鐘を鳴らしていたエコノミスト誌の姿勢が思い出される。
もっとも経済や金融に関する予想などというものは、一つのことを言い続けるが、予想のレンジを広めると必ず当たるものである。例えば明日のドル円相場の予想を聞かれて「80円から84円」と答えるならばまず予想ははずれることはない。天気予報でいうと「時々晴時々曇時々雨」などと言っているようなもので、予想のどれかは当たるがその予想自体には行動方針を決める上で余り意味がない予想、と言えるだろう。
同様に「何時起きるか」ということを特定しない予想も具体的な行動指針を決める上でインパクトに欠ける。たとえば金利高にしろ金利安にしろ唱え続けていれば何時かは当たる時がくる。投資上の問題は何時金利が上がるのか?ということだ。
もっともそんな予測が完全にできれば、常に先物市場で儲けができて世話はない。しかし完全な予想は出来ないけれど、我々はprobability(蓋然性)に賭けることはできる。Probabilityの高い方に賭け続けると、負けることはあっても長期的には勝つ、というのが投資というものだろう。
さて今日本の国債をめぐる動きは2つの「予想」をめぐる読みの対立が先鋭化している。
一つは「日本の銀行は流入する預金に比べて運用先がないので国債を買い続ける。だから国債金利は上昇しない」という読み。東京三菱ファイナンシャルグループの預金量は83兆円で世界第4位。貸付運用を差し引いた42兆円の内40兆円はJGB投資である。
FTによると先週IMFが発表した国際決済銀行のレポートでは、日本の銀行はティアワンキャピタルの900%の国債を保有している。これに対して英国の銀行の英国債保有比率は25%で、米銀の米国債保有比率は100%に過ぎない。
日本の国債残高はGDPの2.5倍近くで、英国や米国の対GDP比率の2.5倍に及ぶというのに、である。
FTのインタビューで平野頭取は「国債エクスポージャーについては懸念を持っているが、エクスポージャーを落とす方法としては、残高を削減するのではなく、国債のデュレーションを短くすることで対応する予定だ」と答えている。
もっとも平野頭取をフォロー・アップした銀行担当者は「日本国債の9割は国内投資家で保有されているので、東京三菱銀行は国債の大きな危機を予想していない」と述べていた。担当者の気持ちを忖度すれば「頭取の発言が国際危機を煽ってはいけないから、冷し水を入れた」ということだろう。
「日本の場合は何々だから特殊」という論法が通じないことは、20年以上前の土地バブルの崩壊で勉強したはずだが、国債は別物だというのだろうか?
私には国債も別物ではなく、経済合理性に合わないバブルはいずれ崩壊すると考える方がProbabilityは高いと思われる。しかしその崩壊が「いつ何がきっかけで起きるか?」までは予想できない。
だが一つの可能性としては大手銀行がデュレーションを短縮する動きを加速することが引き金になる可能性はある。デュレーションを短くするため、長期国債が売られると長期金利が上昇する。長期金利の上昇は国債価格を下落させるので、銀行の評価損が拡大する。評価損の拡大を嫌って銀行が長期国債を売り出すとまた価格が下がるというスパイラルが発生する。
「今の金利っておかしいよね」と考えだす人が臨界点を越える時が転換点だ。FTはそのためにキャンペーンを張っている、と私は見ている。
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