昨日調布の深大寺に今年2回目の初詣にでかけた。初詣に深大寺に出かけたのは5,6年ぶりだが、前に較べて参詣者が増えていると感じた。また御朱印を頂く人は20分待ちになっていた。少なくとも御朱印を頂く人の数が増えていることは間違いない。
という極めて個人的な体験を元に「神社仏閣参詣者が増えている」という話をしようと思うが、統計的根拠はない。なぜなら以前は初詣参詣者の数を発表していた警察庁や神社本庁が既に調査そのものや調査データの発表を取りやめているからだ。
従って初詣参詣者を含む社寺仏閣参詣者が増えているというのは、私の直感的判断である。ただし「御朱印ブーム」だとか「パワースポットブーム」という言葉を思い起こすと社寺仏閣参詣者が増えているという判断はある程度正しいのではないか?と考えている。
最近の初詣参詣者の統計データはないが、1990年頃から2009年までのデータとみると、景気と参詣者数の間には相関関係があり、景気が悪くなると参詣者が増える傾向がある。逆もまた然り。
更に言うと一般論としては、世間が暗くなったり不透明感が増すとき、神頼みが増えるということができるだろう。
また19世紀のイギリスの思想家カーライルは、「宗教は不滅の星である。地上が暗くなればなるほど、輝きを増す星である」と言っている。
ただし社寺参詣者が神頼みをしているのか?社寺参詣者が増えることが宗教が輝きを増すことなのか?ということになるとこれは大いに疑問だ。
たとえば御朱印を集めている人(「頂いている人」というのが正しいが慣用に従う)は、朱印帳に書かれた神様・仏様についてどれほど関心を払っているのか?というと疑問符が付く人が多いだろう。
むしろ各地を旅行した記念に何かを集めるのが楽しみという人が多いのではないだろうか?このような人にとってはそれが御朱印であれ、百名城スタンプであれあまり変わりはないのかもしれない。
私はこのような軽いノリで行う社寺参詣などを「軽い宗教活動」と考えている。軽い宗教活動では教義や厳しい修行・戒律ということは考えない。むしろお祭り気分でイベントに参加するのだ。
従って社寺参詣者が増えているとしてもそれは世相の暗さを反映したものではなく、ごく軽い宗教活動にイベント気分で参加する人が増えているに過ぎないと私は考えている。そしてこのごく軽い宗教活動がコストパフォーマンスの良いレクリェーションになっているのではないだろうか?
更に言えば「ごく軽い宗教活動」は、生死の問題と向き合う「重い宗教活動」や哲学的思索からの逃げ道になっているのかもしれない。無論これは個人的直観に過ぎないが。