今日1月6日は東京としては寒い日でした。明日から顧問先に顔を出すことが多くなるので、お休みは今日までです。2回目?の初詣とお昼にお蕎麦を楽しむために調布の深大寺に家内と出かけました。
目的の蕎麦屋は湧水庵だったのですが、こちらは11時に到着したところ既に駐車場は満車。深大寺の門前に車を進めたのですが、駐車できそうなところはないので、神代植物園の駐車場まで戻りました。今日は寒くて植物園を散策する人が少なくこちらの駐車場は空いていました。
お蕎麦は植物園横の「松の木」で頂きました。私が食べたのは温かい山菜蕎麦です。ボリュームはたっぷりでしたが、蕎麦に腰がなかったのが残念。つなぎのせいか?茹で方のせいなのかは分かりませんが。
そこから歩いて深大寺にお詣り。元日に地元の田無神社にお詣りしたので初詣としては2回目です。
ところで初詣というのは、何をお祈りするものなのでしょう?という素朴な疑問が起こりました。
事業をしている訳ではありませんので「商売繁盛」を祈る必要はありません。またこれから試験を受けたり会社で出世を望むこともありませんから「開運」も縁遠いでしょう。自分と家族の健康は願い事ですが、年に一度の神頼みいや今回の場合は仏様頼みで大きなご利益があるとも思えません。そこで「いつまでもチャレンジする気持ちを保てますように」とお祈りしました。
もっともこれはお祈りというよりは新年の抱負というべきかもしれません。
中年時代にアメリカで暮らしたことがありますが、その時新年にアメリカ人の仲間からwhat are your new year's resolutions?とよく聞かれたことを思い出しました。
この場合のResolutionというのは決意という意味ですね。日本語では新年の抱負です。私はキリスト教に疎いので、彼等が新年に教会に行くのか?行く場合は何をお祈りするのか?ということはトンと分かりませんが、新年は彼等にとって自分の抱負を明確化する節目だったような気がします。
幸いなことに私は現在のところ目立った健康問題を抱えていません。ただそれは健康であるというよりは色々な身体的な問題が顕在化していないというべきでしょう。やがて気がついていない色々な問題が顕在化してくると思います。
そしてそれは避けることはできないでしょう。たとえどれだけ霊験あらたかな神仏にお祈りしてもです。
もし神仏に祈りお力をお借りすることがあるとすれば「心身に起こる様々な変化を従容として受け入れる心の冷静さと変化を自然の摂理と理解する叡智をお授けください」ということではないでしょうか?
お釈迦様は四諦という教えで人生の苦とその克服方法を示しています。中国の易経は「窮すれば変ず。変ずれば通ず」という言葉で環境変化に対するしなやかな身の処し方を示唆しています。
自分を取り巻く様々な環境の変化や自分自身に起こる変化を冷静に受け止め、しなやかに処するということが新年の抱負であり、そのための知恵をくださいというのが私の仏様へのお願いになりました。