金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

【仮説】合併しない金融機関の強み

2009年07月14日 | 金融

昨日(7月13日)キリンとサントリーの経営統合の可能性を報じていた。曰く勝ち組同士がよりシェアを高め、国内での価格競争力を付け、拡大する海外市場に更に積極展開を狙う。これは高齢化で国内市場収縮に直面する多くの業界に示唆を与えるかもしれない。

だが今私は金融機関について敢えて逆のことを考えている。つまりメーカーなどにとって合併はプラスに働くことが多いが、ある種の金融機関にとって合併しないことこそが強みなのではないか?ということだ。

こう考えるに至ったには私自身の経験によるところが多いが、直接の契機は明日四半期業績が発表されるゴールドマン・ザックスについてちょっと考えてみたからだ。ゴールドマン・ザックスの業績見通しについては少し前から、相当良い業績発表になるといううわさがあったが、昨日アナリストのWhitney女史が「買い推奨」を出したこともあって、金融セクターの株価上昇を牽引した。

一昨日のニューヨーク・タイムズは「ゴールドマン・ザックスは市場に賭けるが、市場も又ゴールドマン・ザックスに賭けている」という名言を載せていた。一時的に公的資金を受け入れた(既に返済した)ゴールドマン・ザックスだが、リーマンショック以降荒れ続けた債券・株式・通貨・コモディティの市場でリスクを取り、資金調達に苦労する企業からは高いマージンで起債業務を引き受け、大きな利益を上げたということだ。詳しい内容はやがて誰かがまとまった記事か本にでもするだろうが。例えば「嵐の海で大漁旗を上げたゴールドマン」などという題で。

何故ゴールドマン・ザックスは他の金融機関が苦闘する(リーマンのように沈んでしまった会社もある)中で、生き残り他に先んじて大きな利益を上げることができるのか?というのが私の関心事で、その一つの答として「合併しないことの強み」という仮説を考えている。

ある種の金融機関、特に大きなリスクを取る金融機関にとって「将来の予想」ということが最も重要なことであることは議論をはさむ余地がないところだろう。この「将来の予想」について私は3つのレベルがあると考えている。第一段階は「技術のレベル」つまり企業分析や金利予測などを教科書に書いてあるレベルで行う段階。次が「アートのレベル」つまり数十人に一人というような優れた人間が英知を傾けて行う人智の頂点のレベル。そして最後が「神の領域」つまり大災害・テロ・疫病の蔓延など因果律をベースにした人間では予想できないレベルだ。

第一と第三のレベルを除くつまり第二の「アートのレベル」の予想能力を持つ人間をどれだけ揃えることができるかどうかが、ある種の金融機関の力の差になるのではないか?と私は考えている。ところがこのレベルの人間は合併で揃えることが難しい。何故なら彼(彼女)がそのように優れた能力の保持者であるということは、長年一緒に働く中で周りの人間が認識することで組織として認知されるからだと私は考えている。そのような人を見つけ育てる企業風土は簡単に移植できないだろう。

ところが合併組織の場合は、個人の特殊な才能を認めるメカニズムが働き難く、往々にして第一段階つまり「技術の段階」の将来予想に留まってしまう。あるいは「足して二で割る」ような将来予想に陥ってしまう。そうなるとボラタイルな市場でリスクを取り儲けることは困難だ。こう考えるとゴールドマンのように、単独で生きてきた組織のみが困難な環境下でも果敢なリスクテイクができることが説明できる。

なお将来予想に大きなリスクを取らない金融機関においては、規模の利益をもたらす合併は有効な手段といえるかもしれない。予想に大きなリスクを取らない金融機関とは例えばリテールに特化した金融機関である。これらの金融機関ではビジネスモデルそのものは「予想リスク」の対象だがそれはトップが行えば良いことで、個々の現場は第一段階つまり「マニュアル化された予想」を行えば良いことになる。

このように考えるとコモディティ化されたリスクを取り扱う金融機関の職員の給料が、アートのレベルでリスクを取る金融機関のそれよりも相当低くてもやむをえないことが分かる。ただし以上述べたことは私の仮説に過ぎず十分な実証性があるかどうかまだ自信はない。また強いから合併しないのか?合併しないから強いのか?という鶏・卵問題も検討課題だ。答があるかどうか分からないが。

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自民党、手待ちか万歳突撃か

2009年07月14日 | 政治

私は現在の政治の状況にある危機感を持っている。その危機感というのは現在の政治の状況がどこか昭和10年頃軍部が台頭した状況に似ているところに起因する。

このことを改めて想起させたのは、麻生首相が8月30日に総選挙を決めたことに関するニューヨーク・タイムズの記事の一文だ。

Some analysts said the decision showed that the Liberal Democrats seem resigned to defeat --- and that they are willing to wait on the sideline for the inexperienced Democrats to implode and give them a chance o return to power. Others likened the decision to a political "banzai charge".

「幾人かの政治評論家達は(解散・総選挙の)決定は、自民党が選挙で負けて政権を不慣れな民主党に渡して、民主党が内部分裂し、再び政権を取る戦略だという。他の政治評論家は解散・総選挙の決定を政治的な万歳突撃にたとえる。」

この「万歳突撃」の一語が太平洋戦争前の状況を想起させた訳だ。ところで「民主党の内部分裂」を待つ戦略は将棋でいう「手待ち」に近い。「手待ち」というのは重要な局面で自分から積極的な手を指さず、相手に手を渡し、相手の指す手の欠点を突いて勝とうという戦略だ。

もっとも今回の麻生首相の解散・総選挙決定は、総選挙で勝てるかどうかより、自民党内の反対勢力に引き倒されるのを回避するため行ったもの-という要素が強いので、「手待ち」「万歳突撃」に「統制派vs皇道派の抗争」を加えるべきかもしれない。

ところで何故今日の政治の状況が軍部台頭期と似ているかという点について福田 和也氏の「日本の近代」(新潮新書)から幾つか引用しよう。

第一次大戦後、日本は工業化、都市化と同時に社会の大衆化が一気に進みますが、成熟した社会になったわけではありませんでした。普通選挙が導入されたことで、大衆が政治に大きく関与するようになりました。これをデモクラシーというのでしょうが、政治に関与し、意思決定する層が一気に拡散してしまったのです。」

「政治家は政治家のことしか分からず、役人は役人のことしか分からず、財界人は財界人のことしか分からないといった中で、軍人だけまだ、軍部を越えていろいろな人と交流していいました。拡散してしまった社会の中で、一つのまとまりとして国を見、その方向性を考えていたのが軍だったということが、日本のその後の運命を決めたといっていいでしょう」

自民党・民主党合わせても国民の半分の支持も得られないという状況は、まさに軍部台頭期と似た状況だ。「手待ち」にしろ「万歳突撃」にしろそれは全く政治家の理屈である。一方財源の手当てもなく、福祉拡大を主張する民主党にも信頼は置けない・・・というのが政党を支持しない人達の意見だろう。

私は日本の大きな政治要綱はアメリカのガイダンスの元(日米構造協議や年次改革要望書)で決まり~その内容が良いか悪いか別として~、その見返りとして日本はある程度の経済的繁栄を享受してきたが、その過程で幾つかの大切が議論を避けてきたツケが回ってきていると感じている。

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菊川怜さんを間近で見ました

2009年07月14日 | うんちく・小ネタ

昨日(7月13日)アウディの新車発表会で菊川怜さんを間近にみました。距離は1mもない位。話しかけるつもりならお話できたのですが・・・最近菊川さんが出演した番組を知らなくて話の糸口がなかった次第。

でどうしてアウディの新車発表会に行ったのかというと、某広告会社から招待されたから。どうして招待されたか?というとその会社が運営する「記事広告」プログラムにブロガーとしてインバイトされていたから。新車発表会ではプレスの他数名のブロガーも一般発表に先立ち新車の写真を撮らせて貰いました。もっとも私は今回発表されたアウディ A5 カブリオレhttp://car.nikkei.co.jp/release/article.aspx?id=225328という車に余り関心がないのでカメラを持っていきませんでした。

新車のカバーが取り払われるとカブリオレのシートには石田純一さんと菊川怜さんが座っていました。石田さんは「夏の終わりまでに助手席に座る菊川さんのような女性を見つけたい」と願いの絵馬に書いたって言ってました。懲りないオヤジですが、ここまで来れば立派というべきでしょうか?

菊川さんを間近に見たのはその後のレセプションで。テレビで見ると菊川さんって顔が丸くて少し大き目な感じがするのですが、実物の顔はとっても小さいなぁって感じでした。菊川さんの周りには数名の若い女性が集まり楽しそうに話をしていました。きっとその道では名の知れた女性なのでしょうが、私には分かりませんでした。

表参道、アウディ・カブリオレ、石田純一、菊川怜・・・新車発表会に訪れた華やいだ人達。何れも日頃の私には無縁です。でも夏の幻想としてそんな世界を垣間見たことは少し楽しかったですね。

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