私は現在の政治の状況にある危機感を持っている。その危機感というのは現在の政治の状況がどこか昭和10年頃軍部が台頭した状況に似ているところに起因する。
このことを改めて想起させたのは、麻生首相が8月30日に総選挙を決めたことに関するニューヨーク・タイムズの記事の一文だ。
Some analysts said the decision showed that the Liberal Democrats seem resigned to defeat --- and that they are willing to wait on the sideline for the inexperienced Democrats to implode and give them a chance o return to power. Others likened the decision to a political "banzai charge".
「幾人かの政治評論家達は(解散・総選挙の)決定は、自民党が選挙で負けて政権を不慣れな民主党に渡して、民主党が内部分裂し、再び政権を取る戦略だという。他の政治評論家は解散・総選挙の決定を政治的な万歳突撃にたとえる。」
この「万歳突撃」の一語が太平洋戦争前の状況を想起させた訳だ。ところで「民主党の内部分裂」を待つ戦略は将棋でいう「手待ち」に近い。「手待ち」というのは重要な局面で自分から積極的な手を指さず、相手に手を渡し、相手の指す手の欠点を突いて勝とうという戦略だ。
もっとも今回の麻生首相の解散・総選挙決定は、総選挙で勝てるかどうかより、自民党内の反対勢力に引き倒されるのを回避するため行ったもの-という要素が強いので、「手待ち」「万歳突撃」に「統制派vs皇道派の抗争」を加えるべきかもしれない。
ところで何故今日の政治の状況が軍部台頭期と似ているかという点について福田 和也氏の「日本の近代」(新潮新書)から幾つか引用しよう。
「第一次大戦後、日本は工業化、都市化と同時に社会の大衆化が一気に進みますが、成熟した社会になったわけではありませんでした。普通選挙が導入されたことで、大衆が政治に大きく関与するようになりました。これをデモクラシーというのでしょうが、政治に関与し、意思決定する層が一気に拡散してしまったのです。」
「政治家は政治家のことしか分からず、役人は役人のことしか分からず、財界人は財界人のことしか分からないといった中で、軍人だけまだ、軍部を越えていろいろな人と交流していいました。拡散してしまった社会の中で、一つのまとまりとして国を見、その方向性を考えていたのが軍だったということが、日本のその後の運命を決めたといっていいでしょう」
自民党・民主党合わせても国民の半分の支持も得られないという状況は、まさに軍部台頭期と似た状況だ。「手待ち」にしろ「万歳突撃」にしろそれは全く政治家の理屈である。一方財源の手当てもなく、福祉拡大を主張する民主党にも信頼は置けない・・・というのが政党を支持しない人達の意見だろう。
私は日本の大きな政治要綱はアメリカのガイダンスの元(日米構造協議や年次改革要望書)で決まり~その内容が良いか悪いか別として~、その見返りとして日本はある程度の経済的繁栄を享受してきたが、その過程で幾つかの大切が議論を避けてきたツケが回ってきていると感じている。
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