Oregon on The Breeze ~ サトリの森

Yaplog時代のブログをこちらへ引っ越ししました。

変わらないもの

2012-02-15 15:07:17 | 友人
理数系の友人の健ちゃんが、台湾へわたって・・・何年だ
ま、とにかく当時勤めていた会社の長期出張で台湾へ行ったのがきっかけで、会社までやめちゃって、お気にいりになった台湾で中国語を習い、今は学校へ通ったり、語学を教えたりしながら台湾で暮らしている。

インターネットのおかげで、遠くに住んでいる気はしないのだけど今回は一時帰国で会える事になったわけ。
実物にお目にかかるのは、何年ぶりかしら?
そもそも彼とは同じ先生の元で武道を学んだ同窓生?・・・みたいなもの。
今はお互いそこの道場を離れているのだけど、まだ残って続けている仲間も勿論います。
サトパパともそこで知り合ったわけで、彼も今回の健ちゃんの帰国を楽しみにしてました。
健ちゃんの一時帰国を理由に、昔の仲間にも声をかけてみました。
疎遠になってしまってる人もいるけれど、とりあえず連絡のつく人にコンタクトしたら、幸いその中の一人がちょうど時間がとれると言う事で、東京駅で待ち合わせをしました。

ン? サトパパが住職さんと談話中?

いえいえ、この方は、仲間の一人。いつも皆の事を気にかけて引っ張って言ってくれてた親分的な
'ゆきちゃん’です。道場へ通っている時には髪の毛がありました。でも、そう言えば道場では、「ダルマさん」って呼んでました。その時は、頭じゃなくて、体型がさんをイメージさせたからなんですが・・・。

東京駅の居酒屋に腰を据え、3時間はたっぷり昔話に花を咲かせました。
その日、来られなかった仲間の情報もいくつかゲットできました。
一番のビッグニュースは、もう一人いた仲間の女性(さんと呼ばれてましたが)が離婚をし、再婚をしたと言う事。新宿へ越したことはハガキで知っていましたが、その後何となく連絡がなくなって・・・。
でも、再婚の相手を聞いて、びっくり!!でした。
ゆきちゃんが、
さんが再婚したの知ってる?知ってる人だよ」
と言った時に私は迷いもなくある人の名前を言ったんですが、ゆきちゃんは大当たりぃ~!!だったんでびっくりしたようです。だって、知ってる人と再婚した、と聞いたらその人しかいないと思ってましたから。
健ちゃんなんかは、がその人に惹かれていた事すら気づいてなかったようですが・・・。
ン、モウ~・・。女心が読めないんだから・・・
健ちゃんはすっごく優しくていい人で女友達も多いのに、未だに独身なのはそこのところの問題かな?

私が初めて道場へ見学へ行った日の事を、今になっても二人はよく覚えていました。
稽古の最初から最後まで正座をして、両こぶしを腿の上において微動だにせず見学をしていたと・・・だってぇ~、
武道の見学をするって、そう言う事じゃないの?
私は、その前まで空手をやってました。『芦原会館』と言う、実戦空手をやっている所です。
そこの、指導員は当時西山さんと言う人でしたが、彼がかなり厳しい指導員で、そこで何年も鍛えられましたから

ゆきちゃんが何故、頭を剃ってしまったのかも聞きました。
来られなかった仲間のアカちゃんに彼女が出来てる事も、今武道のスランプ状態にある事も、私達の先生が今どうしているかも・・・色々な話をしました。サトパパも、当時よりずっと日本語が上手になったので楽しそうでした。

理数系の会社にいて、初対面から
「俺ってどうしてこんなに頭がいいんだ!」
と真顔で言って私をびっくりさせた健ちゃんは語学の先生
お国の為に働いていたゆきちゃんは警備の仕事をしながら、日本伝統文化を教授
大手貿易会社の子会社で人材関係のサービス業の仕事をしていた私は、犬のトレーニングと高齢者へのお弁当運びのパート

みんな進む道は変わってしまってるけれど、会えばまたあの時の自分たちに戻ってる。

サトパパは、学ぶ場所は変わっても、日本の武道をアメリカで指導するために師範免状取得に向けて精進。
大手研究所に勤めていたえいちゃんは、相変わらず忙しいらしいけど、道場の仲間と結婚し、今は一人娘のお父さん。

変わってない道を進んでいる人もいるけれど、またみんなで会ったらきっと心はあの頃に戻ると思う。
男も女も、年上も年下も関係ないこんな素晴らしい付き合いを、これからも大事にしていきたいと思う。

疎遠になってしまったさんも、私とサトパパが渡米する前に今度は、旦那さまとなったKちゃんと一緒に会えたら嬉しいな。Kちゃんは、何か弟みたいに感じる人だった。考え方の違いで対立した事もあったけど、そんな事はきょうだいげんかみたいなものだと水に流してまた楽しく会えたら素敵だな。

お互い生き方、考え方が違っても尊重し合ってつきあっていける、気づけばそんな人たちだけがいつのまにか私の周りにいてくれる。
別に私がそれを選んでいるわけでもなく、そのように働きかけているわけでもなく・・・・、
いつも会えるわけでもなくても、やっぱり、相手を思いやって、尊重し合える人たちが、私の宝になってる。
ありがとう、みんな。また、会おうね




<今日のおまけの凸凹@昭和記念公園>



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母の姿

2012-02-11 11:13:38 | Family
母の夢を見ました。
サトパパが仕事に出た後、いつもはそのまま起きているのに、何故か布団の中に入りたくなって、案の定いつのまにか寝ちゃってました

・・・夢の話・・・

建て直す前の実家だったと思うけど、弟がランチを食べに来て、

「お茶飲む?」

って聞いたら、いつものように言葉少なに

「ああ」

って言うから台所へ向かいながら

「急須はどこにやったっけ」

と言ったら、開いていた台所のドアから何かを抱えた母が入ってきた

「あそこに置いたわよ」

と棚を指差して、何もかもきちんと整理整頓をしている母らしい言い方だった。
私は当然びっくりです

だって、その母は、30代位の、若くて、スリムで、きれいな母だったから。

「あれ?死んだんじゃなかったっけ?」

と私がびっくりして言うと、

それまで、見ていた景色の色が見る見る現実的になってきて、鮮やかで夢なんだかホントなのかが夢の中でわからなくなってる自分がいた。
私がそう言うと、母は優しく笑いながら台所にはいって来て

「でも、また出て来るわよ」

って。母が私の前を通り過ぎて行く時、私は思わず「行っちゃだめだ!」と言わんばかりに母の腕をむんずとつかみながら、

「これは、現実なんだろうか、夢なんだろうか。現実か、夢か」

と自分に聞いていたら、

また、あたりの色が夢の中になっていて、立て替えた後の家(つまり現在の家)の居間のテーブルに並んで座っている私と母がいて、その母は、ついこの間別れた母のようだった(年老いた母と言う事)。顔は見えなかったけど。
新聞の番組を見て、何かを言ってたけれど、その隣にいる私は泣いていた
何で泣いているのかわからないけれど、泣いていた。胸がつまるような・・・でも、泣ききれてないような。
それで、目が覚めたんだけど、起きた私は泣いてなかった。

何故か、気分も悪く、自分に何が起こったのかわからないまま、布団にいたら、弟からがあって、夢の話をしたら、弟曰く、(弟は密教を真面目に信心してますが)

人が死んで、しばらくすると、夢の中にその人が出て来る事がある。年の頃は30代。それは、その人がちゃんと成仏した事を意味するんだそうです。


だから、母はちゃんと成仏したんだと、弟はの向こうで泣いているようでした。
それを聞いたら、私も夢を思い出して、母が会いに来てくれたんだと思って、目頭が熱くなりました。

それから、1時間後にサトパパからもがあったので、母の夢の話をすると、弟と同じ事を言いました。

サトパパ曰く、

いつもは、また布団に戻ったりしないのに、戻ったのは、母が、私が起きている時にメッセージを伝えられないので、寝るように仕向けたんじゃないかって言ってました。
そう言う“Vision”を起きたままでも経験出来る人もいるらしいです。

私が見たのは夢でも現実でもなく、母の魂が私に会いに来てくれたんだ・・・と。

父の時は、誰かが父を迎えに来て、この世を去るのを見ました。
母の時は、弟夫婦が看取りましたが、こうして私に会いに来てくれたのかと思うと胸が詰まる思いです。

信じるも信じないも、自分次第ですが、実際にそう言う経験をしてみると、本当に不思議な気持ちになります。

最後に弟が話してた事ですが、
彼の知人が、高齢で亡くなった母親を看取った後、ロサンジェルスにいる家族に会いに行こうと思っていたら、その母親がやはり30代くらいの姿でその人の夢に出てきたそうです。

「今は行かない方がいいよ」

と言っていて、結局その人は予定をキャンセルしたそうですが、なんと、そうしたらロサンジェルス大地震が起きたんです

これを、どう理解したらいいんでしょう




レイラはよく母を訪問しました。何かあると吠えるレイラが母の病室では一度も吠えませんでした。どちらかと言えば、犬を怖がっていた母ですが、レイラが来ると手を振ったり、声をかけたりしてました。
ある日から、それがなくなりそれからしばらくして母はこの世を去りました。


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