Oregon on The Breeze ~ サトリの森

Yaplog時代のブログをこちらへ引っ越ししました。

組曲'啓蟄' 第1楽曲 2曲冬のソナタ

2011-03-07 16:10:10 | 趣味
退職後、日本語教師になろうかと勉強してきた1年間
通信教育は、一人で・・・それこそ自己管理で勉強をすすめなくちゃいけないので、結構だらけがちになりやすい
だから、時々、セミナーなんぞへも参加をして、日本語教育検定に向けて自分にムチをあててみた

そんなある日のセミナーで先生が、言っていた・・。

「日本では直接法(日本語だけで教える事)で教えるが、余裕があれば、生徒の言葉を多少わかるといいかもしれない。」

「日本で日本語を習っているのは、韓国人と中国人が圧倒的に多い。」(私が勉強していた当時の話)

韓国・・・・・・・と言えば、私がOLでバリバリ働いていたころ、日本で『韓流』ブームを作りだしたきっかけとも言われる、ペ・ヨンジュンと言う韓国の俳優が出ているドラマが日本国内で爆発的人気だった。
彼の来日の模様がに映し出されると、すごい数の女性・・・・・しかも、中年のおばさまたち・・・がひしめいていた。
私のまわりでも、彼が出ていた『冬のソナタ』に夢中になっている人がチラホラいたけれど、私は仕事で帰りが遅くなるのもあったし、全然無関心だった。(見る時間がなかった・・と言うのが正しいかな?)

私の高校時代からのclosed friendミータン『くされ縁の友人』と呼んでいるが)、も、そのうちのひとり・・・。
私の退職後、即に

「今は時間があるでしょ?いいから、絶対観て!!

『冬のソナタ』のDVDを貸してくれました。(半強制的に??)
彼女は、自分の息子の元カノが韓国の女性だったのが縁で韓国語を習い始めました。
結局、二人はで今はほとんど使う事がないと言っていますが、それでももう何年も学校へ通って続けてます。

私も実は、では数えきれないくらい前に父が仕事の関係でソウルへ転勤になったのがきっかけで、韓国語を勉強しました。
『冬のソナタ』で、再び韓国語に触れ、日本語教師のセミナーで、

「何か生徒の母国語を知ってるといい」

と聞き、何も迷うことなく、韓国語への興味が湧いてきましたよぉ~

奥にしまってあった、参考書を引っぱり出しましたが、言葉もやっぱり時代と共に変わります。日本語しかりですが。
英語を学んだり、教えたりする経験から、語学を学ぶにはやはり、その言葉をより多く聞いて耳に覚えさせNativeの口の動きを見て真似るのが一番だと思っているのと、同じパターンのストーリーの中にも心に残る場面、韓国人俳優の感情の表現力に惹かれつつドラマを片っ端から・・・サトパパがあきれるほど見始めるようになってしまった・・・・。

おかげで、と言うか何と言うか・・・・、ウリ チング私の友達ミータンも、びっくりするくらいに短期間で、色々な表現を覚えたけど、丸暗記なので限度がある・・・。
今年は春からこのミータン先生と一緒に、もそっと(もうちょっと)文法から学んでみようかと計画してます。
何しろ、彼女は私の眠ってる子を起こした張本人でもありますしね。最後まで、面倒をみていただくつもりです。






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組曲'啓蟄' 第1楽曲 前奏曲

2011-03-01 11:45:50 | 趣味


3月になりました。卒業式のシーズンです
私も、心身ともに結構慌ただしい日々を送っております。

何をしてる・・とか毎日外出をしているとか・・・そう言う訳ではないです。(あ、でも鬼怒川まで犬ぞり大会へ行きました 

会社を退職してから6年もたってしまいました。「もう?」か「まだ?」かは、その日、その時の気分で変わるんだけど・・。
会社を辞めてからまずやった事は、働いていたので出来なかった事・・・。

「体育館へ通って、エクササイズ」(それまで続けていた武道をやめたので)

「サトリのホームページ作成」(シャイロ・シェパードを紹介したかったから。前のサーバーが閉鎖になったのでニューバージョン作成中)

「サトリとの施設訪問活動」(当時はまだレイラがいなかったからね)

「サトリとトレーニングを楽しむ」(K9ゲームがそれだったな)

エトセトラ・・・エトセトラ

会社にいた頃は、いやおうなしに時間に追われて  動いたけれど、その拘束がなくなってからは自分で自分を管理しなくちゃいけないから、これって結構難しいって事を実感!

かと言って放任されてたわけじゃなくて、毎朝のサトパパの作りが私の日課になったけど。
(そのくらいやれよ!ってか?)

新しい事にチャレンジが多く、それまで借りていた家が取り壊しになるんで引っ越しまでしちゃいました。
おかげで、サトリと一緒のアメリカ旅行がふいに!
検疫法が変わった直後で、血液検査をする施設が日本にまだなく、カンサスまでサトリの血液を送ったのに

サトパパに勧められて、「日本語教師」の勉強も始めました 
いずれは、渡米しなくちゃいけないので、何かの役に立てばと言う事でしたが、どうもNativeの 語 を教えるのは、Second Language の 語 と違って、どうも素直に入って来ない
何か、文法の教え方とかを見てると、こじ付け的発想な気がして素直に受け取れない自分がいました
それに、 に勤めて教えるつもりは全然なかったので、時間を費やしてここまでやる必要があるのかな?なんてひねくれた思いまで浮かんで来て・・・・。

「自分への挑戦だよ。」

って、言ってくれるありがたい友人もいましたが、やっている時に他のものに興味をそそられてしまった!と言う事実があったからでもあります

で、とりあえずK9ゲームを休んでまで1年間通信教育で勉強しましたが、あっさりやめちゃいました。
でも、1年間勉強し、日本語を改めて認識すると言う事と、英語を教えるうえでも学んだ事は大きかったです。

そして、興味をそそられた他のものとは?・・・・・・・・・・・

おまけ【5年まえのレイラ】

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