Oregon on The Breeze ~ サトリの森

Yaplog時代のブログをこちらへ引っ越ししました。

魔法のカプセルを求めて(1)

2007-11-22 10:01:10 | 犬・猫・犬友・動物たち
行って来ました。
先日の日記で書いていたセミナーです。
日本ではあまり名前が知られていないのか、宣伝をもあまりしていなかったのか、空席が目立っていた。
でも、結果は・・・
たまたま隣りに座っていた福岡でOGと暮らしていると言うリラママ
「意外と人が少なくて勿体無いですよね
と言うくらいの素晴らしい講演でした。
ドッグトレーナー関係のセミナーはちょくちょく顔を出していたけれど、今回のホリスティック関連のセミナーはちょっと雰囲気が違ってた

まずホールに入ると、こおろぎの声をバックに風の音らしきものとソプラノの女性のささやくようなコーラスが聞こえる音楽が流れているし、聴講中もアロマの香りがずっとしていてリラックスムード。飲食禁止の会場のせいかどこもこぎれいなのも印象に残ったけどね

お待ちかねのショーン博士が舞台に登場した時の印象は・・・
彼の笑顔、私たちに手を振る姿から安心感と暖かさを感じましたね

獣医学博士・医学博士であるアレン・ショーン博士は獣医学で最高峰だと言われているコーネル大学で西洋医学と外科学を学び、獣医となったのだけれど、色々な動物を診療していくうちに、一時的な痛みや症状を「薬」や「手術」で取り除き、それ以上の処置はもう出来なくなった動物たちを「安楽死」かそのままの状態で生きながらえさせなくてはならない、と言うのが現実となっている西洋医学に限界を感じ始めたそうです。

その後、いかに彼が自分との葛藤や試行錯誤をしながら、
「究極の癒しへの道」
を旅するようになったかを私たちに、穏やかな、そして、確かな口調で話し始めてくれました。

で、今日はここまで。
と、言うのもこれから私はお出かけなんです。
友人の言葉を借りると
「レイラと二人、女旅
です。また戻ったら旅のお話とセミナーのお話続ける事にしますmama記)

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信じるも、信じないも・・・その3

2007-11-15 22:55:16 | 犬・猫・犬友・動物たち
サトパパは牧場を持つ両親のもとで育った
小さい頃から馬小屋の掃除をしてたみたい(Good boy)

そんなサトパパからある日「Horse Whisperer」の話を聞いた。
心に傷を持った手に負えないの声に耳を傾け治療をしていく人の事なんだって・・・。
サトパパもその人が家に来て、治療をしたのを見たことがあるらしいけど、まさに神業
とても不思議だったって・・・落ち着きのないがちゃんとおとなしくなったりするそうだ
最近は犬と話す人とかもTVに出たりしているし、川崎市には病気のと会話をしながら治療をしてくれる病院もあるらしい。

デカルトの弟子たちは
「動物には感情もないし、苦痛を感じる事もない。動物の出す苦痛の叫びは機械類の出すノイズと何の違いもない」
と言って動物実験をしていたらしいけど信じられないよねぇ。

じゃぁ、この話はどう説明するのかな?
ある象が病死して、その巨体を動かすのに学者たちは象を切断しようと提案したのだけど、切断したところで塊ひとつもかなりの重量がある。それをどうやって運ぼうとしたか・・・。
飼育係の人たちは反対したのだけど、学者たちは一緒に暮らしていたもう1頭の♂の象にそれを運ばせようと決めた。
♂象は、連れてこられてその塊を見ると動揺を隠せなかったんだって。
でも、その学者さんたちは係のものに象にその塊を運ぶように命令させて、象はたじろぎながらも命令に従ってそれを運び出したそう。
でも、その任務を終えて自分の部屋へ戻った♂象は悲痛な叫びにも似た声を出して部屋を狂ったように歩き回ったって、飼育係の人が長い時間をかけて♂象をなだめてやっと落ち着いた、と言う話。何度も話すたびに私はその♂象の心の痛みになくては語れない

アメリカ、コーネル大学卒の獣医学博士、イリノイ大学で動物行動学、神経生理学の修士取得。さらに動物針治療のパイオニアでもあるアラン・M・ショーン博士は、
(動物には感情や苦痛はないと否定してきた事は)科学者たちがしてきた事に対して正当化するためじゃないか。」
と語ってる。
21日にこの博士が講演をする。
Kindred Spirits人はなぜ動物に癒されるのか
彼の著書のタイトルになっているこのセミナーに参加するのでその前にその本と、それに関連した本をいくつか購入して今読んでいるところ
彼は、西洋医学から自然科学に基づく東洋医学に興味を持ち始めハリ治療や薬草で多くの動物を治療してきた。

特に興味深いのが種族を超えた生物の結びつき・・・。
彼のパートナーだったGレトリーバーのミーガンとの話はとても感動物である。
ミーガンも彼に命を救われたである。
色々な本を読んでいて思うのが、人間同様動物も、辛く悲しい体験をした者ほど他のものの心の痛みがわかるんだなぁって

セミナーまでにもう少しの本を読み終える予定だけれど、言い方や表現の仕方は違ってもたちは『今』を生きているので人間のように死に固執をしていないそうだ。
でも、飼い主が自分が死ぬ事を受け容れてないとわかると、自分が死んだ後の飼い主の気持ちをおもんばかり、飼い主が「死」と言う現実を受け容れる準備が出来るまで頑張る、と『氣』で治療をしている川崎のT先生に訴えたがいたって。
アラン・ショーン博士の本の中には、いくつかの病気をかかえていたシェパードがこれまた病気で生きる気力が薄い愛する家族の子供が自立出来るようになった時、静かに自分の死を迎えた、とか・・・。
は、死に直面してまでも家族の事を思いながら頑張ってるんですね。
博士は
「私たちの心のサバイバルを左右するのは動物たちとのかかわり方ではないだろうか。南米の熱帯雨林を地球の「肺」と考えるならば、地球の「心臓」にあたるのは動物たちである。彼らはあらゆる愛への掛け橋となってくれているのだ。」
と言っています。
私たちを癒してくれるものたちに、私たちは何をしてあげられるのでしょうか?mama記)公園のいちょう並木

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信じるも信じないも・・・・ その2

2007-11-13 11:10:40 | インポート
サトパパがとてもエキサイトしている会合がアメリカのワシントン州で現地時間12日の午前11時から行われたはず・・・。
題して、
「UFO Disclosure Conference Meeting - Nov 12 - Washington DC」
UFOに関して、それぞれの国が秘密にしてきていた事を公表すると言う会議らしいんだけど。

最初、サトパパが興奮して
「絶対(私も)興味あるよ。」
と見せてくれたネットのCNNのニュース番組。
何でも、イギリスの元防衛省に勤務していた人、フランスの科学者、ベルギーの元空軍のリーダーとか国をあげての国際会議らしい。

私は確かにエイリアンの映画とか所謂、SF映画は好きだけど、自分が体験していない物を信じるのには時間がかかる傾向があるらしい

この宇宙に地球以外に生物がいてもおかしくはないと思っているけれど、そんな宇宙船をとばしてこれる生物がいるのかどうか・・・。
でも、それって地球人が一番だと思ってる証拠かな?私自身そんなつもりはないし、サトパパが言うように人類の歴史を考えれば、そんなに遠くはない土方歳三さんだって、今のこの世の中を想像した事もなかったろうね。人類がへ行き、日本全国日帰りも出来、世界の人とインターネットを通じてリアルタイムで交流できるなんて。

サトパパはメキシコには沢山のUFOがやって来て、彼自身も一度、未確認物体が空を飛んでいるのを見たと言うし・・・・。
サトパパの言う事を信じていないわけではないけれど、この度は世界中の著名人や国防に関わっている人たちが集まってそれぞれの情報を公にすると言う会議を未だに実感としてとらえきれない私なのですが・・・

会議の結果はいかなる事に・・・・ (mama記)

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信じるも信じないも・・・・ その1

2007-11-07 23:16:34 | Nature
人は見えないもの、聞こえないもの、触れないものを信じられない、認めたくないってところありますよねぇ
そう言う私も実は自分が経験しない限り、某有名私大の先生じゃないけど、何とか科学的、理屈でまとめちゃおうとする傾向はありますが・・・

サトパパと、私は7,8年前アメリカ人のTom Brown Jr.がやっているTracker Schoolへ参加した事がある。長くなるのでどう言う学校かはここでは説明しないけれど、要するに自然の中で、自然といかに共生をしていくかを教えてくれるんだ。

1週間もない所でテント生活しながら早朝から深夜近くまで勉強をするんだけど、今でも帰国して会社へ行くため外に出た朝のあの何とも言えない違和感・・・アスファルトの道を兵隊の行進のようにザッザッと歩く人々、車や工事の騒音、コンクリートで出来たビルに囲まれて空の見えない所で自分の身の置き場を確認出来ないような瞬間

今まで全く思っても、味わった事もない感覚に襲われて、サトパパや同じ期間にスクールに参加していた日本人女性のクラスメートにその夜、その事を話したら二人とも私の言っている意味がよくわかるって言ってた
スクールでは、動物を狩るわなの仕掛け方や棒を獲物めがけて投げる練習石から作る矢じりやナイフ泥や木のくずが混じった汚水を飲める水にするやり方とか色々教えてくれるのだけど、同時に人間が命をつないでいく為に犠牲となる動物への感謝の祈りを捧げる事や、石もコミュニケーションをとるのだと言うことも学んだ。

動物には感情などないと言う人にはこれから私が書こうとしている事は「変な人」のたわごとでしかないかもしれないけれど、私は石も木もコミュニケーションを取るだろうと思っている。

もう10年以上前だけれど、会社からの帰り道、いつも通る賑やかな通りをいつものように歩いていたら、何て声をかけられたかは覚えていないけれど、声が聞こえたのでフト立ち止まって声の方をみたら、昨日までいつものようにいい枝ぶりを見せていた5mくらいもある木がみるも無残に根っこを丸出しに掘り返されてこれからマンションが建つのであろう空き地に横たわっていた。
「私はもういなくなるんです・・・立ち止まってくれてありがとう」
と言われたような気がした。それが私が木の声を聞いた最初だった

2回目が6年前。
駅からアパートまでの商店街に大きなケヤキがビルの建っている敷地に身を狭く遠慮がちにあって、夏には葉っぱが茂って買い物帰りの私のちょっとした日陰のある休憩場所になっていた。(イメージです)
ある夜、サトパパと駅で待ち合わせをしてした。が降っていて早く帰ろうと足早に帰る途中、いつもそんな事しないのに家路へ急ぐ人たちの中でフト立ち止まってそのケヤキを改めて下から上までず~っと見上げたんだ。葉っぱの間から雨が降っていて、その雨がライトに光ってしていた。私がついてきていないのに気づいたサトパパが
「どうした?」
って戻って来ようとしたけど
「別に・・・」
って急いでサトパパの腕を取ってその場を離れたの。

翌日がだかだか覚えてないけど、通勤時間にそのケヤキの見える角を曲がった時
「あ!!」
と息を呑んでしまったよ。
昨日の夜までの中にりっぱにそびえていたケヤキの木がばっさり根元から切られ、幹がまた半分に切られてビルの横に横たわってたんだもん!
昨日はだよ!それに私が夜9時頃ケヤキを見上げた時には木を切る準備をしている人もいなかったよ!!
その時、私は10年以上前に私に声をかけてきた木の事を思い出した

今回は声を聞いたわけではないけれど、
「いつも気にしてくれてありがとう。でも、今夜で私は切られてしまうんですよ。覚えていてくださいね。」
って私に立ち止まらせたのかな?って思ったよ
葉っぱの間から降るは涙だったのかもしれないね。
見るたびに遠慮気味に枝を伸ばしていたから、本当は肩身が狭い思いをしてたのかな?
あれだけ大きな木だったと言うことはあのビルが出来る前からあったに違いないんだけどね。
ここにまた人間の都合でひとつの生命が消えたんだよねぇ、悲しいよね

あれからそう言う経験はないけれど、木々の間を歩くと包まれているような気持ちになるのは木がコミュニケーションを持とうと思って何かを語りかけているのかもしれない。
でも、ゆっくり耳を傾ける時間のない私には、何も声は聞こえてこないmama記)

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週末

2007-11-05 14:48:37 | 犬・猫・犬友・動物たち
土曜日は、友人のテッコちゃんの新築祝いのパーティー
ラン仲間の半分(全員は多すぎるので)が集まった。
家が近い人ばかりだから、女性陣は
7時に集合だっつうのに、大所帯のシンちゃんママ、サトリの幼馴染で大の仲良し、ジャックの大ちゃんママと言う女性のほとんどがそれ以前からテッコちゃんにたむろって。(私も
それを聞いたラッキーパパ
「こりゃ、早くからが飲めそうだ」
と思ったのかでやって来た
その後に、Mixのやまとママ、フラッティーのライズパパがライズと一緒に登場。
みんなそれなりに長い顔見知りなもんだから、言いたい事を言う言う、一人が喋り終わるとすぐに次(みんなマナーもいいからちゃんと人の話を聞いてるんだよ)から次へと・・・。
いつも酔うとみんなが引いちゃうようなジョークを飛ばしてるラッキーパパもなかなか飛ばせなかったみたいでに帰ってラッキー相手にそれを言ってたなんて事ないだろうな

「光陰矢の如し」とはまさにその通りでがたつのは早い!
もう後ちょっとで日付変更だった。あたふた支度をして外へ出るとさすがに、で帰るのはちょっと寒かったよねぇ。

いつも11時前には寝る私なので翌朝はちょいと長く、といいたい所だけど、早起き一家のサトリの幼馴染のカーン一家がこっちへ来てくれるので7:45に起きたら、珍しくリッチーも起きて来た。
カーンはサトリより1ヶ月ほど若い♂のGシェパード。
最近、「肛門周囲瘻」と言うやっかいなものとおつきあいをしなくてはいけない事態となってしまい、悪化してしまった為手術でも完治しないだろうと言う診断を受けたらしい
子供のように可愛がっているパパとママなのでそのショックはいかばかりだと思うが私自身もカーンを子犬の頃から見てきただけに、をする度に痛がると言うのを聞いて心が痛んだ。

でも、さすがに一家の母は強しで、
「本犬はの時以外はとても元気だし、食欲もあるし、この頃は薬も効いていてよくなってるので、顔を見せに行くよ。」(今年のうちの梅娘)と手作りの梅干を持ってきがてら、わざわざまで来てくれる事になったわけ 
そう、何を隠そう、このカーンママが私の手作り梅干の師匠です 
うちの梅娘は赤シソたっぷりの梅酢につかっていたので真っ赤赤だけど、カーンママの梅吉は(多分)減塩でもあり、赤シソも入れてないから素のままで男らしいのである

と、話は戻って久しぶりのカーンは病気とは思えないくらいに元気だったからちょっと安心。

ところで、サトリとカーンは話をする。
人が聞けばただが吠えあっているように見えるけど、例えばサトリが「ウオウ、ウオオオ」と言うとその後カーンが答えるように「アウアウ、ウオオオ」と言うように・・・。
サトリはジャックの大ちゃんの時のように今のカーンと絡んで遊ぶわけではないけど、やはり子犬の頃からの顔見知りと言うのか、一緒に狭いケージに入れるほどの間柄である。

カーン一家と別れてからサトリとレイラのワクチンへ行こうかとかサトパパと久しぶりにドッグランへ行こうかと話していたのだけど、結局お隣の大家さんへの約束を果たすために向かいの茂った草木の剪定に時間を費やす事に・・・。
お互い様なのだから困っていれば助けるのがあたりまえだし、有言実行のサトパパは「適当にやめればいいのに」と思う私の気持ちをよそに、先日の寝違えた首の痛さも、風邪気味っぽさも横において頑張ってたお疲れさん
私がこの後、枝をまとめて紐でくくるのです!!(mama記)

久しぶりのカーンとカーンパパとの記念撮影

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