Oregon on The Breeze ~ サトリの森

Yaplog時代のブログをこちらへ引っ越ししました。

<大事なお友達へ>また逢おうね!

2016-08-23 23:07:04 | 友人
日本時間の今日、24日、私の大事な友人の一人、留美ちゃんの告別式でした

彼女は会社を通じて知り合ったのですが、公私ともに私が会社を退職してからもずっと仲良くしてました。
会社に勤務していた時は、お互いに仕事上で気まずい思いをした事もあったけれど、仕事がかかわってやむをえなかtった、と言う事を彼女も、私も理解していたので、私が会社を辞めてから、前のように共通の友人達と夕飯一緒にしたり、カラオケへ行ったり、楽しい時間を過ごしました。

その彼女が、癌に侵されたと聞いた時は、信じられない思い出一杯でしたが、また、会社に復帰をすると言う強い意志を持って、辛い化学療法を受けていました。
私が、サトリとピーチのケンカで左の中指を痛めて、リハビリに励んでいた時にその話を聞き、お互いに頑張ろう!とメッセージのやり取りをして励まし合ってました。
退院をした、と聞いた時にはとても嬉しくて、私の一時帰国には会えると思っていたのに、具合がすぐれないから、と言う事で今度の私の帰国までには治ってるからね、と言うメールをもらいました。

でも、つい数週間前、意識不明で病院へ運ばれ、そのまま脳死状態になったと友人から伝え聞き、何とか奇跡が起こって欲しいと心から祈ったのに、留美ちゃんは一人で先に遠くへ旅立って行ってしまいました。

私はお通夜も告別式も参列は出来なかったけれど、最後のお別れをした友人達からのメールには
「留美ちゃんは、今まで通りの美人のままでした」
と言う内容がありました。


2月親戚のまだ11歳の男の子イーサンが旅立ったのが最初で、3月にはペーハがどうしようもない理由で我が家を離れ、5月に大好きだった甲府の叔父さんが旅立ち、6月は、私たちの大事なサトリを安楽死させる事になり、そして、8月は友人を見送る事になりました。
この半年間で、これだけの事を受け入れてこなしていかなくちゃいけないのは、いくら気丈に頑張ってる私でも、復活の時間が足りなかったです。

正直、今は結構へこんでます。
でも、世の中もっともっと辛く悲しくても頑張って生きている人たちもいるのだから、やっぱりいつまでもへこんでいられませんね。

今日のブログは愚痴ログになってしましましたけど、留美ちゃんが苦痛から解放された事を喜んであげたいと思います。とっても寂しいけれど。
知り合えて、友達になれて楽しかったよ。ありがとうね、留美ちゃん。




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追記: In memory of Satori (サトリを追悼して)

2016-08-16 15:07:29 | シャイロ・シェパード/Shiloh Shepherd
私のブログを読んで、某団体のAAA(動物介在活動)で私と一緒に活動をしていた方からわざわざを頂きました。
そのお一人の方は、実際にサトリと一緒に活動をして、リーダーとして色々とお世話になったYさんでした。
Yさんも愛犬が不治の病に侵され、辛い決断をされた経験がありました。
そのYさんがメールの中で、

「(その団体の)セミナーで[安楽死は飼い主さんができる最後のプレゼントです]と聞いていたので、その選択ができました。」

と書いてありました。

私の父が入院し、お医者さんから「どのような治療をして欲しいと考えているか」と、問われた時、母も弟も私も、延命治療は望まず、ただ苦痛は取り除いてほしいと言う考えを持って父を看取った経験があります。(幸いな事に最後まで父は病の為に苦痛を感じる事はありませんでした)
サトリに対しても、彼女の衰えをまざまざと感じるようになった頃から、同じ様に考えていました。
サトレラパパは、勿論考えるまでもなくそうでした。

でも、サトリを連れて行ったその日・・・
あと、1週間好きなようにさせてあげようと思ったその日・・・


その日が最後になってしまったわけです。
食欲もあったし、耳は遠くなっていたけれど目はまだしっかり遠くも見えていたし、ヨタヨタとだけど日陰に移動する事も出来てたし、違う病院で処方してもらった薬を飲んで少しは、よくなったようにも見えてたし・・・。
サトリがすべてを悟っていただろうことも病院で見てわかっていたけど、やっぱり本当にこれでよかったのか、よかったんだよね、って言う自分を否定出来なくて。

だけど、Yさんからのメールを読んで、ハッとしました。

「飼い主さんが出来る最後のプレゼント」
そうですね。家畜となった「犬」は野性の動物のように自分で死を選ぶ事が出来ない可能性は多いですよね。
だから、病院でのサトリの態度を思い返すと、サトリはやっと楽になれると思って静かに眠って行ったのかもしれない。
もう1週間好きな事をさせてあげてから・・・
と言うのは飼い主の満足だけであって、サトリはもう眠っていいですか?って言ってたのかもしれない。

あなたたちに出来る事はもう何もない
考えてみれば過酷な宣告ですよね

それでも、1日でも長く生きて欲しいって、その場しのぎの治療を続けて最後はうちで亡くなってたとしたら、それで
「ああ、よかった。
サトリの好きな家で看取る事が出来て。
これで飼い主の責任を果たす事が出来たんだ」

って思えただろうかと思うとそうでないと思う。
大事な私たちのサトリに最後のプレゼントをあげられたのならよかったと、今は思ってる。


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In memory of Satori (サトリを追悼して)

2016-08-11 12:51:01 | シャイロ・シェパード/Shiloh Shepherd
【サトリを愛してくれた皆さんと
一足先にの橋を渡ったサトリの弟分、ジャーマン・シェパードのKAHNに捧げます】

2016年2月3日サトリはめでたく13歳のお誕生日を迎えました。
この頃は、もはやペーハとはこんな風に
遊べなかったけど、まだ普通にお座りも出来たし、歩く事も出来てたし、このまま14歳のお誕生日を迎えられたらいいな、とそんな事を考えていました。だって、この動画撮影したのもあとちょっとで10月になると言う2015年の秋でしたから。でも、犬の加齢は予想以上に早いんですね。
今まで、過去に私と一緒に過ごしてきた犬たちは諸事情があって、皆、老犬になる前に家を離れていったので、老いて行く犬を身近で見た事はなかったんです。しかも、サトリは私たちの初めてのでした。
少し、後ろの右足が弱くなっているのは感じていましたが、ペーハがいなくなった今年の春頃からだったか、右足を引きずるようになって来たのを認めないわけにはいかなくなりました。それが、加齢と共に2年前のピーチとの争いで加速されたのかわかりません。サトレラパパはその可能性は少ないと思うとは言っていましたが。

足が弱って来ると同時に、排便が上手く出来なくなり、自分で外へ出る前に家の中でもらしてしまったり、しっかり踏ん張りがきかなくなり、動きながらするようになり、サトリがどのように動いていったのかがわかるくらいでした。
サトリだって、家の中でしてはいけないのは重々わかっているので、してしまった後は一刻も外に出たい様子を見せ、
「ああ、家の中でしてしまったんだな」
とこちらも気づく訳です。
原因はわかりませんが、大型犬を飼っている人の話によれば
お尻に近い所の神経がなんらかの理由で痛められ、
犬自身がもはや(排便を)コントロール出来なくなる
と、言う事だそうです。
そのせいか、サトリは家の中にいるよりも、外にいる事を好むようになりました。
それでも、まだ歩けていたし、食欲も相変わらず。2016年5月17日撮影
この写真を撮った時には、この夏を越せれば今年はまだ一緒にいられると思ってました。
でも、ただひとつ、とても気にかかったのが、あれだけ他の犬に対して、(特に♀に)厳しい目を向けていたサトリが、新しく来たターニャを見た時、興味を示しはしたものの、ターニャが寄って行くと避けて遠くへ歩いていってしまったのです。それは、今までのサトリに考えられない事でした。正直、ターニャの教育はサトリにお願いしようと思ってたので思惑が外れてしまった訳です。結局、最後まで、サトリはターニャと触れ合う事はありませんでした。

ご飯にもグルコサミンとかコンドロイチンとか、卵殻膜とか関節にいいと言われているものをずっとあげ続けてたし、日本の友人がわざわざ、自分の犬にもあげていると言うサプリメントや肉球用に自分で作ったクリームを送って来てくれたりして嬉しかったです。進行を遅らせる可能性があると言われる事は色々しました。マッサージをするとその後、少し楽になったようにも見えたのでマッサージもしてみました。お医者さんも、関節炎を抑える薬を飲ませてみてはどうか、と言うので5月頃から少し飲ませて見ました。効いているようにはみえましたが、効果がなくなるとまた、いつものように左を下にして休みます。でも、小走りに走ったりもしてたんですよ。

そのサトリが立つのがおぼつかなくなったのは、さっきの写真を撮ってからしばらくしてだったんでしょうね。
覚えていませんが、ブラッシングをすると足を震わせるようになったし、反対側をブラッシングしようと思ってもどうしても右を下にして横になるのを拒否して、いつも左を下にして伏せていました。
こちらもあえて、嫌な事はしたくなかったのですが、食欲はあるから当然排便します。やがてもおしっこも、伏せたままの状態でするようになり、日中暑くなると日陰へ移動するだけで後はいつも伏せて休んでいました。
毎朝、サトリに挨拶をしに行くたび
「今日も生きているだろうか」
と思い始め、を片付けるのが私の朝の日課になりました。
幸いの状態は健康で下痢をする事はなかったのがせめてもの救いでした。

ところが、ある日からやたらとハエがサトリの周辺に飛び交うようになったのに気づき、フトサトリの最期が近づいているからハエが来ているのかと思ったら・・・・・。
なんと!彼女の肛門周りの長い毛におおわれて死角になった所についていたにハエがたかっていたのです。
洗っても、反対側に身体を向けたくないのだからまた同じ状態になる事を考えて下半身の長い毛を短く刈ってしまいました。
そうしたおかげで、サトリ自身が肛門周りのよごれを自分でなめてきれいにする事が出来るようになったので、ハエも寄らなくなりましたけど。
草の上に休んでいるとはいえ、床ずれみたいになったら嫌だったので車いすを作ってはどうかとも提案したのですが
「ずっと立たせておくわけにはいかないから、
いずれにしても身を横たえる時には左下になってしまう。」

と言うサトレラパパの言葉を否定出来ませんでした。
じゃぁ、せめてマットを敷いてあげようと思うと、マットに寝るのは暑いのと、足場が何となく不安定になるのとで、すぐにいなくなって、お気に入りのポーチの下へ行っちゃうし・・・。

ある日、サトレラパパがポーチの下のサトリを見に行った時、

「腐ったような臭いがする」
と戻って来ました。
「今朝、臭わなかったか?」
と言われてもそんな臭いを嗅いだ覚えもないし・・・
いや、もしかしたら、サトリにそんな事が起きるはずがないと言う私の思いが、臭いをかがせないようにしていたのかもしれない、と後で思いました。

とにかくすぐにへ行かなくてはいけないので、様子を伝えて取る物も取らずターニャが世話になっている隣り町の病院へ行きました。
それが、6月9日の朝でした。
そんな状態のサトリでしたが、車から降りたサトリはゆっくりとですが自分で歩いて診察室まで行ったんです。
診察を終えた獣医さんが、サトリの状態はかなり深刻だと言いました。
「(何とかと言う)薬を飲めば、痛みがなくなって、反対の身体で横になる事も出来るかもしれないけれど、・・・・。薬の副作用が脳にいくかもしれない。」
そんな獣医さんの提案を私たちは受け入れる事にしてサトリの足の部分の消毒やクリーニングをしてから連れて帰っていいと言う事になりそのまま病院に置いて帰りました。帰りの車でサトレラパパが言いました。
「1週間だけでも、痛みのない状態で最後を過ごさせてあげよう。でも、今度の薬は強いものだから、薬を飲んだサトリはもはや元のサトリとは違うかもしれないよ。」
と言われ、脳裏に浮かんだのは、ロビー。
うちで一時期預かっていたMama Susanの愛犬(ボーダーコリー)。
私が渡米し、ペーハが我が家にやって来ててんてこまいしている最中の出来ごとでした。
テンカンの発作の薬の副作用で、一瞬たりとも「食べたい」と言う欲求が消える事がなかったのです。
私は元気なころのロビーを知らなかったけれど、アジリティでは優秀な成績を収め、Stud dog (繁殖用の雄犬)にもなる予定だったのに、私の前にいるロビーはまるで『餓鬼』でした。コマンドも聞こえてないように、ただただ台所をウロウロ歩きまわっているのです。テンカンが治まってきた頃に薬の量を減らしました。その時のロビーは足もふらつかずボールを追いかけ、コマンドも良くきくようになり、薬の副作用の怖さを身にしみて感じたものです。
優秀な犬をこんなにしてしまう薬を飲ませてまで、生きながらえさせるのがいいのか、疑問を持つようになりました。
そんな経験が甦って、
「サトリに薬を飲ませていいものか。」
「でも、あのプライドの高いサトリが、これから先、もはや『犬』として生きていけないのならせめて最後の1週間だけでも・・・。」
私の頭には「安楽死」
の文字もグルグルまわっていました。最後はそこに行きつくしかないのだろうと。

に帰って、30分もしないうちだったか、病院から電話をもらいました。サトレラパパが応対していましたが、その口調からサトリはもう家へ戻れないんだ、とわかりました。
病院側曰く
「思ったよりも、(横になっていた側(左)の皮膚の状態が)ひどく、彼女の大きな身体を支える事はもはや無理で、反対側を向ける事が出来なければ、皮膚がすり切れて筋肉が出て来てしまう。あなたたちに出来る事はもはや何もないと思います。」
と言う事でした。
病院へ行ったその日がサトリの最期になるとは、意識のどこかで覚悟をしていたのか、それともありえない、と思っていたのか、私にはわかりませんでしたが、サトリに苦しい思いをさせたくないのはサトレラパパも私も同じでした。
13:00の「その時」に間に合うように、とるものもとりあえず病院に戻って行きました。

サトリは私たちに背を向けて伏せていました。思わず胸がつまりましたが、車中、サトレラパパと
「最期までサトリには笑顔でいよう。」
「その瞬間までサトリの好きな足のマッサージをしてあげよう。」
と話してたので、気をしっかり持てよ!と言い聞かせてサトリの名を呼ぶと、サトリはゆっくり身を起し振り返って私たちが入って来るのを見るとまた元の状態に戻りました。
その顔を見た時、私は(後で話しを聞けばサトレラパパも)サトリはすべてを悟っていると感じました。
(サトリと同じケンネルから出たシャイロ・シェパードが先日、治癒不可能な病気になり若くして安楽死になりましたが、その子も飼い主さんにそのようなサインを見せたそうです)
担当の獣医さんに写真を撮ってもらい、数分間私たちだけにしてくれました。サトレラパパがマッサージをしている間、サトリはいつものようにその手をなめていました。
獣医さんが注射を持って戻ってきて言いました。
「2本目の注射をするとすぐに静かに心臓が止まります。」獣医さんが、1本目の注射をする時もサトリは静かに足を彼女の手に預けてじっとしていました。そして、2本目の注射針がサトリの右足に刺された時、サトリは静かに目を閉じました。聴診器で心臓の音を聞いていた獣医さんが言いました。
「心臓が今完全に止まりました。」
サトレラパパが
「今、まだサトリには声が聞こえるはずだから。」
と言ったので何かをサトリに話しかけたと思うけど、覚えてない・・・。

私たちの初めてのK9ファミリー 
シャイロ・シェパード 
Joyful Dryad of Miracle
”サトリ”
2016年6月9日 没13歳4ヶ月6日






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シャンプーしました!

2016-08-11 10:17:27 | Family
ワイルドなチャイニーズ・クレステッド・ドッグから変身です。
ちょっとお顔辺りもカットして、それらしい犬種に見えますか?


ワイルドなままだと何もかまっていない、虐待やネグレクトに見えるかもしれないけれど、レイラ自身はシャンプーが嫌いなので、ブラッシング、シャンプーされてるレイラ本犬は虐待をされているような気分になってるのかも
シャンプーの後は、大好きなの乾燥を食べに庭に出してもらえないしね

でも、帰って来たサトレラパパは、きれいになったレイラにご満悦の様子でした!

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